泣き濡れてさびしい野にただ一人
もうずっと、胸の辺りが苦しい。
空気を吸っているはずなのに、鉛のようにどろどろとした黒いものを吸い込んでいるみたいだ。
息をするたびに、あの人を目にするたびに、僕の心は喜びと絶望を繰り返す。
傍にいて欲しいんだ。ただ、それだけなんだ。
僕はあの人にとって都合のいい存在だってことは分かってる。あの人が俺を選ぶ理由がない。僕なんて、何一つ、あなたが目に留めてくれる要素がない。
僕はただ、待つだけだ。
最悪だ。女々しい、女々しすぎて……笑えてくる。
ぼんやりと窓から外を眺める時間が増えた。ため息も。
風の流れにハッとして振り向くと、男がひとり立っていた。僕が会いたいときには会えず、思い出したようにやってくる彼。
「あ、おかえり」
「ああ。ただいま」
クロロ=ルシルフル。名前しか知らない。僕は彼に拾われて、ここに住まわされている。
彼が僕を拾ってくれたことには本当に感謝している。
僕は精一杯の笑顔をで彼を迎え入れる。
彼がいて、それだけで僕の世界は色ずく。たった一人の人間しかみれないこの状況、僕の脳みそがヤバイ自体に陥っているのはよく分かっている。
恋は盲目。よく言ったものだ。
僕にはあんたしか見えてないよ。くそったれ!
「クロロ、外寒くなかった?いちお、風呂も沸いてるけど…」
「いや、結構だ。ちょっと寄っただけだから……が元気かどうか、確認したかっただけだからね」
「マジ?僕は元気だよ。こんなとこに住まわせてもらって…ほんとに感謝してるんだ」
「足りないものはないか?」
「ない、よ…」
気がついたときは何にも憶えてなくて、僕の前にはクロロがいた。僕は、あんたに助けられた。何一つ――そう、名前以外の自分の記憶を失っている僕を、あんたは拾って居場所をくれた。
ここには暖房も冷房もあって、痛いことすら何一つありゃしない。
まるで、初めて見たものを親だと勘違いする刷りこみ?インプリンティングに他ならない!
自覚しているのに、止められない
「ならいいんだ。…ああ、そうだ。カードに入金しておいたよ。足りなくなってたら、こっちでまた入金するけど…あんまりお金減ってなかったね?好きなもの買っていいんだよ?」
「いや!全然大丈夫だよ!必要最低限のものはちゃんと買ってるし!ほんと、いつもありがとう!それに、僕バイト始めたんだ!」
「……バイト?聞いてないよ」
「あ……うん、言おうと思ったんだけど、クロロ、滅多にこの家に来ないから…」
「そっか。…うん、気をつけてね。世の中には変な人間がたくさんいるから。みたいな人間は、カモにされやすい」
「!…ん。分かった。今度、初給料が出たら、なんかクロロにプレゼントするな!」
「ありがとう…じゃ、俺は行くよ」
「うん…体に気をつけてな」
あんたは、僕をどう思ってる。気まぐれに拾った、自活するペットか?
金とエサだけあたえて、後は与えてくれないのか?
僕はあんたが好きなんだ。
僕に言わせてくれよ、あんたが好きだ。好きなんだ!
あんたはあんたのことを何一つ教えてくれやしねぇ。
僕はあんたにとって、自分のことを教える価値すらないのか?
僕が知っていること!ソレはあんたの名前だけ!!
――…でも、心のどこかで分かってるんだ。
なぁ、僕がアンタを好きだといったとき、この関係は終わるのだろう!!
(くそったれ!僕はあんたの虜になった!いっそ、コロセ!)
引き返せない。だめだ、もう、あんたのことを待つことに気が狂う。
アンタが死んじまえばいいのに。
あるいは、僕が死んじまうか!!
僕はそんなに物欲しそうな顔をしているのか?笑いを含んだ眼差しで、僕の頬にわざとらしく手を滑らす。
それだけで、心臓が激しく波打つ!くそう、僕はどうしたらいいんだよ!
アンタは卑怯だ。クロロ!!
「珍しいね、二日連続でうちにくるなんて」
「おいおい、ここはオレのうちでもあるんだよ?…実は、この近くで仕事をすることになってね、一週間ほどいられるよ」
「ほんとに!?」
嬉しくて、子どものように声を張り上げてしまった。
「ああ。夜は出るけど…昼間なら、どこかへ一緒に出かけられるよ」
「うわぁ…マジで?」
「行きたいところある?早めに行ってくれればオレも予定をあわせやすいんだけど…」
「あ、うん!最近なんだけど、大きなショッピングモールが出来たんだ。映画館もあるし、洋服店もあるし…ああ、クロロの好きな本屋もこのあたりでは最大級っていう触れ込みだぜ」
「へぇ、新刊は最近読んでないからな…」
「実は僕がバイトしてるとこって、そのモールなんだ」
「そうなんだ?そういえば、何のバイトしてるか聞いてなかったな…何してるの?」
「僕は…」
(あんたがいて、僕の話を聞いてくれる、そして、あんたの話を僕が聞く、幸せだ)
『か?悪い、急に外せない用事が入った。今日の予定はキャンセルさせてくれ』
「…うん。分かった」
『今度、この埋め合わせはするから。ごめんな』
「いいよ。ああ、ちょうど今日は天気も悪いし…うん、気をつけてね」
『じゃ』
あっけなく電話が切れる。
「あー…あ、楽しみに、してたんだけどな…」
取り次いだ約束は、こうやって、簡単にキャンセルされる。駄目なら駄目で、もっと早くに行ってくれよ。
「女と一緒にあるいてんじゃねーか…」
プルル…!
再び電話が鳴ったので、飛びつく。もしかして、急用がなくなって、やっぱり俺と一緒に出かけてくれるんじゃないかと、期待して。
『もしもし?くん。今暇かな?バイトの子が急にこれなくなっちゃって…もし、来れるようなら店に出てくれないかな?』
「店長…あ、…はい、大丈夫です」
『ほんとかい?ああ、良かった。皆なかなか捕まらなくてさ!ありがとう!出来るだけ早く来てね。じゃ』
電話の切れた音を聞いて、はぁ…と息を吐く、
「んな、調子いいことが起こるわけないか…」
店長も、なんていいタイミングで電話しててくるんだか…。期待させておいて突き落とす。
勝手に期待して、勝手に落ち込む。
「バイト…行こ」
家にいるよりもマシだろう。このまま家にいたら、気分が鬱々として深みに嵌りそうだ。
外では小雨が降り始めていた。ただでさえ曇り空でパッとしない天気だったのに、雨まで降ってきやがって…!
傘を取りに戻る気にもならなかった。駆け足で道を走りながら、ふと、目線が吸い寄せられる。
「クロロ…?」
見間違いかと思い、立ち止まりもう一度目を凝らす。
クロロの隣には豊満な肢体を持った女がいた。
クロロよりも身長が高いようだが、それでも、顔だけを見れば両者とも標準以上の顔立ちだ。心なしか、クロロもリラックスした表情に見える。
女は身を少しだけ屈めて、クロロに囁く。
(やめてくれ、その隣に立つな!)
「は俺のこと好きなの?」
一言に心臓が凍りついた。なんで今、不意打ちに?
せめて、この夕飯を食べ終わってから…いや、いつだって同じか。
ああ、今日のビーフシチューは腕によりをかけたのにな…後で、暖めなおすか。…その時、僕に食べる気持ちがあればだけれど。
スプーンを並べていた手を止める。ああ、見てみろ、僕の手が震えているじゃないか。変だな、結構頭の中は冷静なんだけな…。
「…気づいてただろ?」
平常心だと思うんだけれど…やっぱり、違うみたいだ。脳みそだけ離反してるっていうの?僕の出した声は酷く震えている。
「ああ、気づいてたよ?」
にこり、と人の良い好青年風の笑顔を惜しげもなく俺に晒す。
ああ、僕も気付いていたさ!あんたが僕が気持ちに気が付いていることをな!
悔しいよ、哀しいよ。それでアンタはどう答えるんだ?
僕の気持ちにこたえてくれるのか?それとも…思いっきり見下して拒絶して、僕を捨てるのか?
あんたが僕を拾ったんだ。
僕を捨てるのもまた、あんたの自由だ。
「それで、どうして欲しい?」
「…どう、するって?」
「オレにどうして欲しいんだ?キスして欲しい?抱いて欲しい?」
「……ッ」
なんてこと言うんだ、あんたは!!
「お前の望みは?……?」
――目の前にぶら下がった、人参に、飛びつく僕は馬鹿ですか?
「抱きしめて、欲しい」
あんたの熱が欲しい。
クロロが僕の体を抱きしめる。クロロの匂い…強い香水に邪魔されている中、必死にクロロの匂いだけを捜し求める。
きつい香水は女の影だ。頭の影で、先日見た豊満な大人の女性を思い浮かべる。ああ、―…彼女なら、この香水をしていても魅力のひとつとなるだろう。
分かってるよ。あんたが好きなのは女で、僕だって好きなのは女だ。
けど、僕が好きになったあんたは男だったんだ。僕だって、男に抱かれたくはないし、抱きたくも無い。抱くなら女の方が何倍もいい。
ごめんな、抱きしめてくれて、ありがとう。そして、アンタはさいてーだ。
僕を抱きしめた肩越しで、笑っただろう?
あんたは俺に見えてないと思ってるんだろうけど、生憎、そっちの窓ガラスに映った顔が、食器棚のガラスに反射して見えてるんだよ…。
今、あんたの唇は弧を描いた。
笑うな。嘲笑わないでくれ。
縋りつくしかない、僕を――…。
(捨てないでくれるなら、僕はあんたに尽くすよ)
電話がなる。
いや、これは幻聴。
電話なんて本当はなってない。
僕の中で鳴っているだけ。
むくりとベッドから起き上がる。柔らかいタオルケットだけを身につけて、冷たいフローリングをふらふらと歩いて受話器を持ち上げる。
リリンィン…―
『もっしもーし!!!』
頭の奥で鈴がなる。
懐かしい声に、じわりと目頭が熱くなる。
「ああ、そうだよ……」(もしもし!元気だなぁ、お前、昨日の疲れは残ってないのか?)
『うん、昨日は楽しかったね!』
「……お前が死んで、何年たったんだろうなぁ…ごめんな」(楽しかった…けど、僕は疲れたぞ、正直…)
『あのね、美術館のチケットが手にはいったの!あさって、一緒に行かない?』
「僕、また忘れてたよ。妹のこと忘れる、こんなヤツが兄貴だなんて…お前も…呆れてるんだろうな」(美術館?いいけど、明後日だと、僕もバイトだから三時過ぎなきゃ行けないぞ)
『えー…うん、分かった。先に中に入って待ってるからね。!バイト終わったら早く着てね!』
「お前のこと、大事だった。大切な、妹だったんだ。……けど、」(おっけ。じゃあ、明後日な!着いたら連絡するよ)
『…ああ、休憩時間終わっちゃう。じゃ、またね!』
「……ごめん」(ああ、また今度な)
――…今度なんて来なかった。お前はその日に死んだんだ。
ちょうど展示されていた特別展示品。
グロウリィハート<栄光の心臓>
ピンポン球ほどの大きさのハート型の細工だ。それを狙った、どこかの誰か。
そして僕の妹は芸術品を愛していた。そう、一種病的なほどに。高じて、彼女は正規ではないが美術品のアマチュアハンターを名乗っていた。
電話を置く。
ツーツー…
きっと、僕がいけないんだ。
僕がクロロを好きになったから。
僕が好きにならなければ、こんなことにはならなかった。
悪いのは僕だ。僕がいけないんだ。
アンタは確かに、僕の妹を殺したけれど、僕がそうと知らずに勝手に俺がほれた。
あんたが僕に声をかけたのは偶然だろう。
そう、僕は呆然と警察によって後片付けをされる空間を見ていただけだ。根こそぎなくなっている、空間を。
「どうかしたの?」
差し出された手に乗った真っ白いハンカチ。ソノ手を無意識に掴んでしまったのは僕だ。
泣いてることに気がつかず、あんたの手のぬくもりに縋ってしまった!!
(あんたの所為じゃない。全部全部、僕がアンタに惚れたのがいけないんだ)
「お帰り、クロロ」
「ただいま、」
薄暗い部屋の中、笑顔でクロロを迎え入れる。
「どうした?電気もつけずに……?」
「クロロ、クロロ……ごめんな」
「…ッ!"また"思い出したのか!?」
泣き笑いのように、顔歪む。
「……【忘却の川(レテ)】」
記憶を操作する念能力。
僕は、自分の念能力さえ忘れていたよ。
僕は弱い。
あんたたちがいるから、今の僕がいることを分かっているのに…僕は、たった一人の肉親だった、妹を殺したあんたを愛してしまった自分が憎い。
だから、全て…妹を忘れ、クロロを忘れ…リセットする。
なぁ、次に僕が目覚めたとき、あんたは僕の前にいないでくれよ。
僕のことなんか、このまま道端にでも放りだしてくれ。そしたら、僕はあんたと出会わずに、他の人間を好きになることが出来るだろう。
なぁ、何度目だった?
僕が告白した相手がクロロだったのは?あんたは僕に好きじゃないくせに、なんで何度も僕を傍に置く!意味も無い!
僕は記憶を取り戻し、"また"告白した相手がクロロだと知り、絶望する。
記憶の復活のキーワードは、僕が誰かを愛し、告白し、結ばれること。
何度同じ間違いを繰り返す?
それと知らずに――…。
「アンタは誰だ?僕はどうしてここにいる?」
(俺はアンタに恋をする。何度だって……自分の記憶を消して)
end
071125
※正直、何が書きたかったのか分からない。シリアスでなにか書きたかっただけだろう。雰囲気だけで読んでください…。