何も無い、名にも無い




side: 正守


墨村家は烏森を守るために存在する代々続く名家である。
その日新しく生まれた赤子を取り上げ、墨村家は喜びに溢れた。赤子の右手のひらにはくっきりと正当継承者である証の方印が刻まれていた。

けたたましく泣きわめく元気な赤子を喜びあやす祖父の後ろ姿を眺めながら、正守は複雑な思いを胸に抱いていた。
現在七歳である正守は墨村家の長男として生まれ、結界師として祖父から一心に教育を受けていた。生来の利発さに加え、結界師としての力はなぜこの仔に方印が表れておらなんだ、と祖父が密かに嘆くほどの才能を有していた。
そこへ生まれた正当継承者。正守は己に方印が表れていないことは百も承知であったが、7つも離れて生まれた弟に実際に方印が表れているのを見るのは覚悟していたとはいえ衝撃だった。

父と母と祖父が「良守」と名付けられた弟を囲む空間に自分がまるで異分子のように弾かれているように感じた。酷い言い方をするなら、まるで結界によってこちら側とあちら側と区別されているように。

一歩離れた場所に立ち、もの悲しさを噛み締めていた正守は同じように空間から弾かれている者を見つけた。座布団の上に無造作に置かれ、誰にも省み見られずに放置されているにも関わらず、すやすやと静かに安眠を貪っている赤子…もう一人の弟を。

正当継承者の良守の双子の兄として生を受けた赤子だ。二卵性とは聞いていないから、恐らく一卵性の双子だろう。正守はそっと泣き喚く良守をあやす両親の側を横切り、忘れられている赤子の覗きこんだ。好奇心からふっくらと柔らかそうな頬をつつくと、くしゃりと顔を歪ませ、むかずるようにして瞳を開いた。
大きな黒い瞳が無心に正守を見つめた。正守は赤子の小さな手のひらを開いて見た。どちらの手のひらにも方印はかかれていない。当たり前のことだが、正守はうっそりと笑った。

赤子が真似をしてぎこちなく笑いの表情をした。



ああ、可愛いね
――――可哀想に



血と肉と魂さえも二分にして母の腹から生まれてきたというのに、お前には価値がないんだ。
表裏一体の影でしかなく、スペアにもなれない出来損ない。

指先を赤子の手のひらに添えると、きゅっと握り締められる。
その可愛らしい反射に知らずに笑みがこぼれる。




「本当に、可哀想にね、――





side: 


聡い子供だったと思う。自分はけして主役になれないことを知っていた。自分とそっくりで、けれど全部もっている双子の弟。鏡合わせのように出来るのに、触れあわせた手の平は違う。
良守には方印があり、には無い。いっそ、全く容姿の違う二卵生の双子だったら、ここまで落胆することはなかった。何も分からぬ小さな頃は良かった。

けれど、双子だからこそ、ふとした瞬間に良守を優先される事実に気が付いたとき、は悲しかった。はその時から良守と手を繋ぐ時は必ず左側に回った。…良守の方印と触れあわぬように。も墨村家の直系として結界術が使える。いっそ、正当継承者以外には使えぬ術ならば良かったのに…、と何度思ったことだろう。

正守が家を出ていくと言った時、は生まれて初めて我が儘を言った。

「僕も家を出る。兄さんについてく」と。

そのときの兄の瞳が忘れられない。哀れむように嘲笑うように瞳を眇めてを見たことを。
嫌な目だった。ドロドロとした濁った眼でを見て、さらに透かして良守を見ている。
正守が酷く歪んでいることをは知っていた。正守はいつでも「兄」として良守に優しかった。けれど一人の人間として時折覗く瞳は憎しみに揺れていた。は正守に優しくされたことがない。けれどは正守が自分を見てくれていることを知っていた。

!お父さんは許さないよ!まだ小学生じゃないか」

父の修二はそう言って珍しく声を荒げたが、は頑として譲らなかった。

「俺は構わないよ、お父さん」

正守は面白そうに笑い、の目線に合わせるために屈み込んだ。口元は笑っていても瞳の奥が冷たく、は怯えて一歩下がりそうになったがギュッと唇を噛んで耐えた。一歩でも引けば、この男はいとも容易く自分を切り捨てるだろう。

は、ほんとに、俺と来たいの?」

ゆっくりとことば区切りながら言う。

「っ…!はい」
「そっか。でも、良守と離れるよ。利守とも…いいの?」
「…いい」
「なんで俺と一緒にいきたいの」
「……烏森中学に行きたくないから」
「…」
「あ、あそこ、怖いから」

半分本当で嘘は言っていない。は何度か足を踏み入れた烏森学園に恐れを抱いていた。あの地は特に異質であると聞いていたが、敷地に踏み入れた途端に足元から蛇が巻き付いてきて無理やりに這い上がってくる感覚がした。気持ち悪さに全身に鳥肌がたった。良守に聞いても多少の閉鎖感はあるがそれほど怖いとは思わないと言っていた。時音も同様だ。

どうしてあの地のおぞましさがワカラナイ?

いや…そう思う自分が特別だと勘違いしたいだけなのかもしれない。
誰よりもあの地に恐怖を感じる。そう感じる自分が特別なのではないか、と…。

それでも、本心から1分1秒だってあの敷地にいたくない。

「怖い、ねぇ…。お前、何が怖いの?」
「っ…それ、は」

誰が信じる?
空っぽの器に誰かが水を注ぐような感覚なんて。

僕がボクじゃなくなる感覚なんて。

「小学校卒業するまで、その気持ちが変わらなかったら俺の方で預かるよ…それでいいかな、父さん、お爺さん」

は背を向けて立ち上った正守の背中を見上げた。小学生のにとってその背中はとても大きな壁のように見えた。

「お爺ちゃん、お父さん、良守にはなにも言わないで。あいつ、このこと知ったら泣くし」

ああ、僕はお前の涙に弱いんだ。





side: 時音


雪村時音には幼なじみが四人いる。その四人は全員隣の家の男兄弟である。その内一人は飽きることなく金魚のふんのように時音の後ろにひっついて回っている。毎晩会うことが確定している金魚のふんこと墨村良守。その弟である利守も毎週一度は顔を会わせる。

問題は残りの二人だ。
長男である正守は高校卒業後に家を出るのは分かるが、中学入学を控えたが一緒に家を出て行ったことに時音は驚いていた。は大人しい子供で、良守がいつも引っ張り出して連れまわしていた。はあやかし退治に烏森の地を踏むことを嫌がった。
正守について行った理由も「朝から晩まで烏森にいたくない」だ。

時音はあまりと話をした記憶がない。いつも人一倍世話の焼ける泣き虫の良守がいたので、その後ろに立つもの静かでなんでも一人で出来るに構う時が少なかった。
良守が元気で騒がしい子供だっただからか、は時音の眼から見ても大人びたところが覗く少年だった。
良守と同じ顔をしながらも、二人の違いは個々を取り巻く雰囲気で一目瞭然だった。

いつも拗ねたような顔をして、喜怒哀楽が激しいのが良守。
いつも静かに何を考えているのか分からない表情が動かないのが
自己主張も薄い子だった。
お菓子を持って行っても足りないと良守が駄々をこねれば、自分の分を半分にしてあげるような…。一歩ひいたところを持っていた。

正守が家を出ていくと言った時、は生まれて初めて我が儘を言ったのだという。「僕も、一緒について行く」と。それが、初めてともいえるわがまま。

後から話を聞かされたとき、時音は驚いた。
どうして?と疑問符が脳裏を飛び交った。正守は前々から自分の行く道を考えていたようだったし、家を出ると聞いたときも、「ああ、やっぱり出て行くのか」という程度の感想だった。もちろん、正守が居なくなるのは寂しいと思った。出来ることなら行って欲しくない、とも。
けれど、一緒に家を出て行く人間に影守が入っているなんて予想外もいいところだ。
までが出て行く…そのことに、それほどまでの気がかりを感じなかった。
元々、時音の手を煩わせていたのは良守であったし、が身近にいなくなっても、それほど…生活に変化はなかったのだ。





side: 良守


鏡を見ると、二年前に長兄を追いかけて家を出ていった双子の兄を否応なしに思いだす。
正守もも突然に家を出ていってしまった。父や祖父とは何度も話しあって決めたことなのだろう。ただ、良守が知らなかっただけで。

正守は年の離れた兄だ。自分のことも良く可愛いがってくれていたと思う。良守も幼いこともあり、子供の特権で甘えまくっていた自覚がある。今ではその頃の無邪気な自分を抹殺したい。時折思いだされる中、良守が正守と遊んでいるときが一緒にいた記憶がない。正守も良守に構い、には素っ気ない態度だった。なんでだろうと、今から思えば不思議なことだ。
だから…が正守の場所に行くと聞いて利守は驚愕したのだ。

「なんでだよ!どーしておれだけ置いて行くんだよ!」
「良守…」

は困ったように小さく首を降った。同じ顔なのに、自分よりも大人っぽく見えた。その違いが怖くて、良守は掴んでいた腕に力を込めた。

「どうしてが出てくんだよぉっ!お前言ったじゃんッ!兄貴が出て行った日どこにも行かないって!」
「…言ってないよ。僕は良守の願いに答えを返した覚えはない」

正守が出て行った日、泣くながら良守は『はどこにもいかないよな』『ずっと一緒だよな』とにすがりついたが、は明確な返事は返さなかった。素直に感情をさらけ出し、泣きわめく良守の背中を宥めてやりながら堪らない思いがあった。

感情のまま素直に泣きわめいて引き止めようとする良守に、は羨望すら思えた。

(なあ、俺たちは母親の腹の中でひとつのだったよな。混ざり合って選ばれたのはお前)

大嫌いだよ
大好きだよ

は泣きながらも必死な良守に暖かく…それでいて冷たい目を向けた。矛盾するこの感情は、けして表に出してはいけないものだ。

「じゃ、さよなら」

は手を振り払い、正守よりも先に歩き出した。背後で正守が最後の挨拶をしている声が聞こえた。

『もう、助けてやらないからな』

嘘つき。
は心の中で吐き捨て、瞳を閉じた


(なんでだ、なんで振り向いてくれないんだよ、!)





side: 


屋根の上で寝転びながらぼんやりと月を見つめていると、頭上に知った気配があった。

「…限」
「寒いだろ。…んなとこで寝て風邪引いたら頭領が心配すんぞ」
「大丈夫だよ」

薄く笑って否定する。正守が己のことを心配するはずはない。夜行の連中に見せてみる、頼れるリーダーな正守も確かに彼の一面だが、は正守の持っと奥、消化も発散も出来ずに凝り固まった暗く澱んだ部分が見えている。その闇が正守の強さの源だ。

夜行は想像していたよりも暖かい場所だった。ひとりひとりが個性的で、自分を持っている。正守がどこからと連れて来る異能者たち。
他聞に漏れず正守に絶対の信頼を寄せる。今、の目前にいる限にしてもそうだ。
正守の強さに引かれる。……に言わせれば、あの強さは歪んだ愛の結果だ。
は知っている。正守が、良守に対して愛憎の気持ちを持っていることを。

愛したいのに壊したい。
壊したいけど愛したい。

憎くて愛しい…そんな感情を良守に持っているのだ。そして、良守は気がつかずにその感情を受けとめ、流す。
良守は、自分では気がついていないが兄である正守に複雑な思いを持っている。ブラコンとでも言えばいいのか。
忙しかった両親、祖父に替わって、多くの面倒を見て育ててくれたのは正守だ。刷り込みといったほうが正しいかもしれないが、正守の前では条件反射的に気を引くような素振りを見せる。
それは昔の甘えていた様子とは間逆になり、つっけんどんな態度を取っているらしい。もう、ずっと会っていないので正守に話を聞くだけだけれど。

それは「俺を見て」というアプローチに他ならない。
無意識にしていることだからこそ、根深いものを感じさせる。

「あーぁ…なんか腹減ってきたね」
「もう夕飯終わっただろ。さっさと寝ろよ」
「小腹が空いたって感じだよ。冷蔵庫に、アイスあったっけ?」
「…食う気か?」
「う〜ん。食べたいけれど、今日、ちょっと寒いよね」
「そうだな。腹壊すぞ、やめとけ」
「…ちぇっ。じゃ、眠るかね」

限とは同い年のこともあり、2人組を組まされることが多かった。
この夜行で、良守を知るのは正守だけだ。
他の夜行の面々は良守を知らない。それは、にとって自分の居場所というものを認識させた。恐らく、正守もと同じようなことを考えてるだろう。

ここには誰も、烏森の選ばれなかった守護者と言う目で見るものはいない。

「限…さっき兄貴に呼ばれてたろ?何の話だったん?」
「……ああ、オレ、烏森に行くことになった」

思ってもなかった返答に、は大きく目を見開いて限を見上げた。
限の背後にちょうど月が掛かっていて、彼の持つ獣性を何故か思い出させる。月と獣。その組み合わせは美しい。

「な、んで?」
「…さぁな、あの人が何を考えているのか、オレには分からないけど…行けといわれたらオレは行く。あの人の言葉だから…」

…熱っぽい感情で語る。
単純に、正守に必要にされている事実が嬉しいのだ。
異能者は、望んで異能を手に入れたわけではない。

「なぁ、烏森にはお前の弟がいるだろ?どんなやつだ?」
「さぁ?俺よりも明るいやつだよ。そう、明るくて、一緒にいると、こっちまで元気になるような…」

(……ああ、限はきっと良守を好きになるな)

正守らが持つ闇ではなく、良守の明るい光に、きっと限は惹かれるだろう。
彼の持つ、特別の中の平凡さが、異能者にとっては憧れの対象になるだろう。望まずに力を持った異能者が恋焦がれるのは……平凡。
良守は特別にも関わらずに平凡なのだ。
真っ直ぐに育った。太陽を目指して一直線に植物が育つように。

正守は良守を見ている、良守は正守を見ている、(俺)は正守を見ている…。
三角形にもならない、この一方通行!


(俺だけが!俺だけが、弾かれる!)


利守は、最後の弟だ。
年長者としての責も、双子としての苦悩も、無い。
後継者が生まれたのち、無条件で望まれた愛される子!!ソノ存在を疎ましく思ったことなどない。羨望すらある。


(兄貴も、俺も、後継者として望まれた!けれど、ソレがなかった!)



長兄にも関わらずの――否定。
双子であるにも関わらずの――否定。

烏森に選ばれる。それは、その家に生まれた自分たちにとっては存在意義にも等しい。
選ばれなかったことを幸福と喜べというのか?それは出来ない。刷り込まれた遺伝子が、烏森への執着を呼び覚ます!

ぎゅ、と自分を押さえ込むように抱きしめる。



?」
「……限、お前は…」



――…俺と良守、どちらを取る?



喉まで出かかった言葉を、飲み込む。
馬鹿馬鹿しい話だ。そんなこと聞かれても、限に答えられるはずも無い。限はまだ、良守という人間を知らないのだ。
なんでもない、と首を振り、出来る限りの笑顔を作る。



「限、いってらっしゃい」





願わくば、お前が―――







(俺の存在を、影として認識しないことを…)


end.
071130
※薄暗いのが好き。夢主、なんか後ろ向き考えな人間っぽい…。双子ネタは好きですよ!デフォだと、夢主の名前は影守になってます。