僕を支配できますか
――…俺はいつも怖い。
彼の存在が親よりも教師よりも不良よりも警察よりも、誰よりも恐ろしい。近くにいるだけで、彼が同じ空間にいると知っただけで、体中が金縛りになったように身動き一つ取れなくなる。まさに、蛇に睨まれた蛙のように捕食者に捕らえられる弱者。それが俺の立場だ。彼の目線に先には痛くない。早鐘を打つ心臓の音、背中ににじむ汗。
彼はこの学校の支配者――…逆らうものには容赦をしない。
彼は人間として完璧に近い。切れ長の黒曜石のような瞳、鴉の濡羽色の髪、圧倒的な力、明晰な頭脳、有象無象共を支配するだけのカリスマ。
俺は彼を認めている。誰よりも認めている――…だからこそ、彼が怖い。
彼と廊下ですれ違うとき、僕は廊下の端へより彼から見えないようにとただただ足元の床を見つめて彼が通り過ぎるのを待つ。だが、時として彼は気まぐれに僕のすぐ前を通り過ぎずに立ち止まる。
「…―」
ビクリ、との肩が静電気に触れたかのように震えた。彼がもう一度名前を呼べば、は酷く緩慢な動作で顔を上げた。長めの前髪から覗く、眼鏡の向こうの瞳に彼は機嫌悪げに眉を動かす。彼は…この、並盛中の支配者は、存外感情の起伏が激しい。言葉の端々に感情が淡く滲み出る。もちろん、完全な無表情で感情を抑制制御する術も心得ている。…ああ、だって、そうでなければ―…あの家の中、生きていくことなど出来なかった。
「、僕、言ったよね?僕の前に出るときは、その眼鏡を止めろと」
「ッ…」
伸びてきた雲雀の手が、の前髪を鷲掴む。無理やり上に向かされて頭皮を引っ張られる痛みには苦痛を漏らす。廊下にいた生徒、または教師は見なかった振りをしてそそくさとその場から逃げ出していた。正義はどこにある?どうみても、僕のこの状況は不良に因縁を付けられた一般学生だろう?誰もが見ない振りをする。痛みに反応して目を瞑りそうになるのを堪えては雲雀から目を逸らすまいと目に力を入れる。ギリリと掴み上げられる髪がブチリと何本か引き抜かれている。は口を開いた。
「すいません、…―雲雀先パッ…!ッツ!」
先輩、と呼びかけようとしたら容赦のない腹部をトンファーが一撃が埋め込まれた。胃がひっくり返るような衝撃には足の力が抜けた。そのまま腹を抱えて廊下に蹲れればは幸せだ。だが、雲雀が許すはずもない。雲雀が薄っすらと嗤いながらの身体を壁へと押し付ける。壁に体が持たれかけることが出来て、少しだけはほっとする。背中を壁に預けていれば掴む雲雀の手だけに体重を預けなくてすむ。
「なに、言ってるの?」
不機嫌を隠さない雲雀の声の低さには震える。
「…だって」
「『だって?』言い訳?ふーん、僕に言い訳?いいよ、聞いてあげるよ」
つい、言い訳めいた言葉を舌に上らせてしまい、は苦い顔になった。雲雀は髪を掴んでいた手を外すと、の顔から眼鏡を取り払った。あっ、と小さく声を上げて手で眼鏡の行方を追うが、其の手はトンファーで叩き落とされてしまう。はずきずきと痛む腕を押さえた。雲雀の胸ポケットに、昔からここに僕はありました、と言ったような調子の眼鏡をはにらみ付けた。
「、顔、上げて」
両手で顔を挟み込むように揚げさせられう。右頬に当たるトンファーの固い感触、背中を預けるコンクリートの冷たい感触。前方には雲雀。
(――…ああ)
身体が震えるのは何故か。それは恐怖からよりのものなのか。は自分が分からない。ただ、彼は自分にとっても絶対なものであることだけは分かっている。は雲雀を瞳に映す。
「…―だって、バレたら、俺の学校生活はどうなるんですか」
(学校生活だけじゃない。あの人たちに、なんていえばいいの?…何も言えるわけないじゃないか…)
「そんなこと?」
「俺にとっては、そんなんことじゃ済まされない。分かってるでしょ、貴方の立場を」
の言ったことが小学生の問題を解くような気安さで「そんなこと?」と返されて、はムッとする。分かっているはずなのだ。雲雀だって、自分の立場との立場の違いを。今此処に、学校という外の世界に出させて貰っているだけ、はあの人たちに感謝をしなくてはならない。一生、飼い殺しにされていたとしても有る意味、文句の言えない立場なのだ。あの家のことを考えれば…この歳になるまで生きていられたことすら、奇跡のような気がしてくる。それも単に、彼が―…雲雀がいたからだ。
「――…だから、それが何?僕との間を阻むものはみんな僕が噛み殺す」
「――ッ!!」
噛み殺す。この一言にジワリと口の中に血の味が広がる錯覚を覚えた。いいや、錯覚ではない。これは…経験した記憶のリフレイン。――…柔らかい肉を絶ち、脈打つ頚動脈を抉り、生暖かい血を啜り、噴出した狂気と始まりの血に塗れ哄笑した、自分。
狂っている。きっと俺はもう狂っている。分かっている、分かっている。
は目を瞑る。闇を振り払う、血を振り払う。
(なのに―…)
「噛み殺す。は――…何も心配することはない」
(貴方は、俺を甘やかす)
「駄目だ!違う!心配なのはッ、俺じゃない、僕がしてしまう、きっとしてしまうことだ!」
「…五月蠅い」
叫んだを雲雀が容赦なく蹴り上げた。背中に当たった壁は衝撃を吸収することもない。視界が一瞬暗くなる、落ちそうだ…―と気絶しそうになったが抱き止められた。雲雀が纏う柔らかな匂いが鼻腔を擽った。その香りだけで身体の力が抜けそうになる。全てを忘れてこの人に頼ってしまいたくなる。
――…なぜ!?どうして、この子の瞳は赤いの!?
――…阿婆擦れが。雲雀の家を穢すか
――…不吉な赤。おお、見るな。薄気味の悪い赤子だこと。
広大の屋敷、離れにポツンと作られた小さな牢獄。物置の蔵の地下に作られたほんの小さな窓しかない、鉄格子の囲い。一年中日が当たらず、冷たい寂しいところ。ただ、ものには不自由しなかった。望めば何もかも与えられた。与えられなかったのは、外へ出る自由。それだけが無かった。外の世界への憧れを旅行記などの本を読むことで紛らわそうとした。でも、実物と文字ではそのリアルは埋まらない。少しずつ貯めていったどうしようもない渇き。知れば知るほど枯渇する。
一年に二度、本家への出入りが許されていた。正月の一日、そして、祖父の誕生日の一日。二日だけがにとって外の世界だった。
正月の席、末席の末席に産みの親とともに座った。母という生き物は年齢に合わずに酷く年老いた老婆のような顔をしていた。目じりに、口元に、首に寄った皺がなにかミミズのようなものが寄生しているようで酷く気持ちが悪かったのを覚えている。長い髪を今流に結い上げているものの、染まりきれいない白髪がところどころ覗いていた。
――…ああ!ああ、貴方さえ生まれてこなければ!!私はあの人に愛されたのに!死ね死ね死んでしまえ!
隣の生き物が言った。ブツブツと幽鬼のように呟いている。別にどうとも思わなかった。この生き物は顔を負わすたびに小声で不明瞭なことを呟き続ける。己の瞳が赤で、其の色をこの家の誰も持っていないことは知っていた。己が赤い瞳を持って生まれてしまったがために、母が恥さらし売女と罵られる様も知っている。我ながら人間の虹彩としては可笑しな色だなと思う。希少な色だ。と言ってくれたのはただ一人だ。自分でも気に入らない、この赤い左目。黒と赤のオッドアイ。
殺されなかったのが不思議だった。腐っても本妻の子供。気が狂った母親ともども殺すのにも政略結婚の相手の出方もあるとの考えだったのだろう。――…有る意味、平和だった。心の中で揺れ動く漣はごく小さなものであったし、
――…馬鹿ね。貴方は一生自由は無いのよ。自由なのは死だけ。
きっと、彼女は何か皮肉を言ったわけでもなかったのだろう。
自由になれない自由になれない自由になれない自由になれない!!!!胸のうちを駆け上がるどす黒い感情。硫酸のように胸を焦がし、目の前がパンっと赤く弾けた。
子供の手で首を絞められるわけがない。手元に凶器があるわけでもない。ならば?
――…噛み殺せ。自由に大地を駆ける獣のように、牙をむき、爪を立て、切り裂け!喉元に喰らいつけ!
なにも考えられなかった。本能のように彼女の首元に襲い掛かり、片手は彼女の眼窩に尖った爪を突き立てぐちゃぐちゃとかき混ぜた。頭のてっぺんから出したような金切り声が耳元から聞こえたような気持もした。この得物はいまだ生きているらしい…さっさと黙れ。
ガブリと首の肉をかぶり切った。ブチブチと筋が千切れて噛み切りずらい。勢いをつけて生き物の肉を全部口に含んだ。頚動脈からあふれ出した血が口の中を生暖かく満たす。…うん、ちょっとだけ刺身でも食べているみたいだ。ちょっと、筋が多いね。
生き物は必死の抵抗で僕の身体を引き離そうと肩に爪を食い込ませて押しのけようとする。ズブリと爪が肌に食い込んだが、痛みは感じない。麻痺している。五月蝿いモノだ。さらに、目の中に入れていた指を乱暴にかき混ぜた。絶叫。
僕は彼女の身体を突き飛ばした。彼女がもんどりうって後方に倒れる。首筋からは止め処なく溢れ還るどす黒い血。くちゃくちゃとガムでも咀嚼するようにに彼女の肉を口の中で弄んだが、美味しくもなかった。
ペッ―…と、倒れた彼女のそばに吐き捨てた。潰れたいちごのような塊が床にへばりついた。
「アハッ」
僕は笑った。最初に出たのは引きつった笑いだった。
「アハッ!あはははっははははははははっははは!!!」
心のソコから初めて嗤った。こんなに嗤ったのは生きてきて初めてだ。楽しくて堪らない。世界が全て赤く見える。赤赤赤!
青い空はどこだ!僕の求める緑の原は!!血に塗れれてもいい、草原を夕日の赤で満たそうじゃないか!!
(ああ、ぼくはじゆうになれる)
「――…」
名を呼ばれたかと思うと、腹に蹴りが入った。ぼんやりとしていたはあっけなく床に転がった。
「う…雲雀さ」
腹を押さえて怯えながら雲雀を見上げた。小馬鹿にしたような表情は彼に良く似合っていると思う。その通りだ。自分は馬鹿だ。どうしようもない人間だ。最低の人間だ。
「僕と話しているときに飛ばないでくれる?大体、君と僕は同じ苗字でしょ?なんで苗字で呼ぶわけ?」
「……俺はアナタとは違うんですよ、雲雀先輩」
「違くていいよ、群れて誰が誰だかわかんないよりマシだ」
「…アンタが、僕の檻になってくれるのですか…――恭弥兄さん」
「可愛い弟がそう望むならね」
「後悔、しますよ。僕は狂ってるから。アナタにもいずれ牙を剥く」
異常だ。僕は異常だ。可笑しい。ヤバイ。
檻が欲しい。檻が欲しい。俺を閉じ込めるだけの、強靭な折が。俺を殺せるような檻が。俺を飼いならせる者が。
「――…そうしたら、互いの血を啜ろうじゃないか」
ほら、アンタは僕を支配する。
だから僕は、アンタがいつも怖いんだ。
未掲載だった断片が出てきたので、ちょいちょいと手を加えてアーップ!REBORN系統書きたいッス。