赤と黒と灰色の世界



お前はファミリーのために命を捨てることが出来るか?


―Si


…そうか。
ならば誓え。

その血と肉と忠誠を持って、ボンゴレファミリーの一員となることを。



赤と黒と灰色の世界



ツナの中に流れる血は、遥か元を辿ればボンゴレファミリー初代の流れを汲むのだという。
そんなことを言われても、ツナにはなにも実感は沸かない。曽祖父の名と顔すら知らぬというのに、それのさらに上を行く先祖の名や出生なぞ、興味もなければツナを形作る要素に全く関わりはなかった。

偉大なるボンゴレ・ファミリー創始者。
血と血を洗う抗争の末に一大マフィアを作り上げた。数あるマフィアの中でも五本の指に数えられる伝統ある巨大なファミリーを。そしてこの城は受け継がれた支配者の証しであった。

背後を岸壁に面したこの城は、古くを辿れば貴族のものであったらしい。むき出しの石作りの壁は年月を感じさせ、雨潮風によって変色し独特の味わいを醸し出している。しかし、外見の古風な様子とは裏腹に内部のセキュリティーは相当のものであった。
侵入可能と思われる場所には赤外線がいたるところに張られ、ネズミ一匹の反応でもレーザーが反応し、焼き殺す。入場にはIDカード、角膜、指紋、暗証番号の四重承認。一番高い塔の上にはパラボラアンテナが常に上空からの飛来物を監視している。いつどこからミサイルが降ってくるか分からないからだ。地下にはシェルターもあり、どこかへ続く長い抜け道もあるのだという。

「…XXXXXXXXXXXX、tunayoshi」

ツナの目の前にいる、自動式車椅子に座った老人はツナに聞きとれぬほどの早口で何事かを言った。ツナはずっとリボーンからボス候補として教育され、イタリア語も日常会話ほどなら聞き取れることができる。
しかし、本場の早口にところどころちゃんと聞き取ることは出来ない。最後の「ツナ」と自分を呼ぶ名前だけは聞き取れたが、後はさっぱり何を言っているのか分からない。ツナは困ったように後ろに控える獄寺を振り返った。獄寺は入室したときから、老人に向かってきっちり九十度の礼を取ったまま、頭を上げる様子はない。

「…『遠路遥遥、よく来たな。ツナ』」
「リボーン…」

ツナは同じく背後に顔を上げて立っているリボーンに日本語訳をしてもらってほっとして再び老人に向き直る。

この…祖父と呼べるほど歳の離れた老人。
身のうちに同じ男を祖とした、遠き血縁。

その男…ボンゴレ・ファミリーの九代目ティモーテオ。
通称、オールドマンと呼ばれる高齢の男は、皺に埋もれた眼窩から覗く瞳は活力に満ち、星のような意思を感じさせた。彼の前に立つと、自然と背筋が伸びる冷厳とした雰囲気。だが、一見すると冷たいと思われる中に、ほんのかすかな温かみが隠れている。

この男がボンゴレを治める男。
ツナは知らず知らずに口にたまった唾を飲み込み、老人に見入った。

『リボーン。ツナは使えそうか?』
『ツナをマフィアのボスに教育しろ。…そう、貴方は依頼されたはずだ』

小さくオールドマンは頷くと、ツナに来いと手招きをした。リボーンに助けを求めるように見ると、「行け」という風に目配せされた。ツナは小走りでオールドマンに近づいた。老体を労わるような目でオールドマンを伺うツナの様子に、オールドマンはふと目元を和らげたが、それはよほど老人を良く知るものでないと、ただ皺が痙攣したようにしか見えなかった。

やさしい子であろ。
オールドマンは見ることのかなわなかった孫を見るような気持ちになった。その場でその動きを正しく理解したのは長年オールドマンと親しかったリボーンだけだった。

『よい子だね。君がここに来たという事は…心は決まったとみていいのかね?』

リボーンが日本語に同時通訳をしてくれる。

「あの…オレ」
『なんだね』

ツナは口ごもる。

「…迷っているんです」

ツナは正直に言った。
このイタリアまではるばる来た。それは心決まったと思われても仕方ないだろう。
…だが、後一歩が踏み出させない。

ツナは俯くまい、目を逸らすまいとオールドマンの瞳をじっと見詰めた。

『君の立場に同情しよう。私の息子たちさえ生きていれば、君に十代目の話が回っていくことはなかった』
「そうですね…でも、このお鉢がオレに回ってこなければ…十三歳からのオレの経験は…なかった」

ツナは今までの出来事を思い出す。

ダメツナと呼ばれていた自分。適当な人生を送って、だらだらとした流される人生を送っていただろう。ダメツナと呼ばれるのもしょうがない。
自分はダメな人間だ。三流高校に受かって、大学に浪人して、また三流大学を卒業して、そこら辺の平凡なサラリーマンになっている…。そんな人生が用意されていたのだろうと思う。

それが、リボーンが来て、獄寺が来て、山本と友達になって、仲間が出来て…世界が変わっていった。ダメな人間には変わりないけれど、大切な人たちができた。何事もない、平凡なダメ人生を送っていたら絶対に手に入れることのなかった仲間たちだ。

何度、どうして自分が十代目候補になんかあがってしまったのだろうと考えたことだろう。
何度、オレのつまんないけど平凡な毎日を返せよ!と胸中で叫んだことだろう。


…けれど。


「オレは…初めてオレの居場所を見つけた気がした」
『…それまでは、居場所はなかった?』
「オレはダメな人間だったから…。友達すら、出来なかった」

目を伏せて、ツナは淡々と言った。後ろでかすかに獄寺が身じろいだ。ここがオールドマンの前ではなかったら「十代目は最高ッス!渋いッス!」と叫んでいただろう。ツナは、中学に入ったばかりの、誰も友達がいなかったときを思い出した。

リボーンが来る少し前。今思えばほんの短い時間だったけど、学校でツナはまったくどうでもいい存在だった。誰からも求められない、体育の時間でも遊ぶときでも、声がかからない。
友達と放課後に遊ぶこともなく。家で漫画やゲームを読んでいた毎日。一人でいることに慣れっこで、平気だったつもりだった。

彼らが来て、みんなに囲まれて笑って、いろいろ迷惑がかけられたけれど、間違えなく自分が輪の中に入ってた。

こんなにもオレが求められている。
嬉しかった。


とても嬉しかった。


『少なくとも、そこにいるハヤトはそう思ってないようだよ』
「…獄寺くんがいなきゃ、オレはきっとなんにも出来ないダメツナのまんまでした』

ツナは苦笑して首を振った。オールドマンはツナの手を握った。しわしわの手は皮だけになっていて、かさかさに乾燥している。

『私は見ての通り老いぼれた。死ぬのは一瞬だ。怖くは無い。しかし…ファミリーのことだけが心残りなのだ』
「…皆、オレみたいなダメなヤツのために命を張るんですよ。それがオレには耐えられない…」
『君は優しい子だね。…しかし、それではなにも守れない』
「分かってます。…あの人は、オレの代わりに死んでしまった。…十代目候補というだけの、オレの、ために…」

…彼は、死んだのだ。

優しい人であった。
常に一歩引いて見守っていてくれた。

『ファミリーのドンになるという事は、それだけ多くの命を背負うことになる。それは重いものだ』

何人もの男たちが、命を落とし、また奪う。
それが続けられてきた。

『彼らはなにに命を張っていると思う?』
「ドンにですか」
『…いいや、違う。全てはボンゴレという名の下に命を捧げているのだ。私も例外ではない』

重ねて生きた月日を垣間見せる重々しい声でオールドマンは言う。
しかし、長いことこのドンの地位についてきたオールドマンもふと思うときがある。

ボンゴレの名とは、それほどに重いものなのか?

オールドマンでさえ、マフィアではない、ただの普通の一般人として生活をしてみたかったと思う。誰から畏怖を持ってあがめられる…人々はその権力をうらやましがるだろう。反対に、一般の生活に憧れる自分がいる。

…なんてないものねだりなのか。

組織の頂点に立つということはそれだけ多くの部下を預かるということだ。
多くの人の生活の命を握っている。そのところは、なんら大会社の社長と同じでなんら変わることはない。ただ…生きている闇が深いというだけ。オールドマンはツナを握る手に力をこめた。しみと皮、そして硬い大きな手に包まれ、ツナは動くことができない。この手は果たして綺麗なのか。

…いいや、血に汚れていると見て間違えないだろう。
一般の人々が悪事だと糾弾するようなことに手を染めている手。

ツナは深く息を吐いた。
けれど、考えてみれば五年間もの間家庭教師としてツナの家に居候していたリボーンの本職は殺し屋だ。殺し屋と名乗るほどなのだ。当然、幾人もの人間の命を奪ってきたのだろう。人一倍冷静なリボーンだ。無常にたやすく人の命を散らすのだろう。

獄寺にしたって同じことだ。
彼が扱うものはダイナマイト。その威力の前に、誰かが本当に木っ端微塵となって散っていったかもしれない…。リボーンや獄寺が実際に人を殺す場面をツナは見たことあった。あの瞬間感じた彼らへの恐怖を忘れることは出来ない。

だが…。

彼らは、守るべきもののために牙を振るう。

オレは?
オレは…守られて、いる、だけ。
守りたい。


「オレはほんとに全然大層な人間じゃない。けれど…オレみたいなやつを慕ってくれる獄寺くんたちを守りたいと思う」


いつもいつも守られている。
けどさ、男だから。
オレだって男だから…。

守りたいとも思うんだよ。


『優しさだけでは救えない。それは分かっているね?誰もが誰かを踏み台にして生きている』


分かっている…そういう人生が嫌だった。
オレのためにとか、そういうのは嫌なんだ。

山本には何も告げづにイタリアに来た。今頃は忽然と姿を消したツナたちに驚いているかもしれない。さよならをいえなかったことが心残りだが、山本には野球がある。ごっこ遊びだと思っている山本をマフィアに引きずり込む必要はないのだ。

あの国にもヒットマンたちが何人も送られてきていた。年を経るとともに、ヒットマンの数も増えていた。いくらリボーンが優秀だからといって、次々に送られてくるヒットマンの後片付けは大変だろう。日本にいれば、山本やハル、周りの一般市民や関係者が巻き込まれる可能性がある。イタリアだったら周りを固めるのは一般市民ではなく、マフィアだ。

…いくらか、心の重石が軽くなる。
そんな打算的な自分が嫌いだ。

あの人が死んでしまったあの日。
あの人の最後の言葉が忘れられない。



『 ボ ン ゴ レ に 栄 光 あ れ 』




彼は死ぬ瞬間、笑ったんだ。

命をかけている。
オレの中のボンゴレの直系の血に彼らはボンゴレの旗を見る。

彼がオレの変わりに死んだ瞬間。
オレも死んだのだろう。

『守りたいものがあるなら、どんな手を講じても、それを守れ』

たとえ、それ故に己が手が汚れたとしても。大切なものを守るために、使える力は使え。それだけの、力を行使することが出来るのだ、ボンゴレのドンという立場は。

オレは一度死んだのだ。
なら、この一度死んだ命…ボンゴレのためになにかをしよう。

「分かりました。オレの答えは…」

ツナは目を閉じて、ゆっくりと言葉を紡いだ。
己がかみ締めるように。



「―― Si.(イエス)」
『……ありがとう』



オールドマンはツナの諾の答えに、万感を持って頷いた。肩の荷が軽くなったようだ。
これで、いつ天の…地獄のお召しが来ても安心して旅立つことが出来るだろう。いや、まだだ。と、オールドマンは気が抜けた心を引き締める。目の前の少年はいまだ十七。ボンゴレのドンになるには若すぎる。

『五年…君に自由な時間をあげよう』

五年ぐらいなら、生きていらえるだろう。
先のことは分からない、が。

ツナはモラトリアムをくれることに微かな驚きを感じた。
イエスと答えたら最後、イタリアのどこかに閉じ込められてドンとなるべき再教育がなされるのかと思っていたのだ。

『好きなように過ごすがいい…。ボンゴレにすべてを捧げる前に…』

ツナの手をいったん強く握り離すと、オールドマンは自動車椅子を操作した。

『リボーン。後は任せた』
『はい』

リボーンと極寺に鋭い視線を投げかけ、くるりと椅子を回転させた。
ツナたちには背を向けた状態でオールドマンは止まった。

『…五年後、また会おう。十代目』
『はい。九代目もお元気で』


再び車椅子が動き出す。ツナは偉大なる九代目の背中に深く礼をした。ギギっとオールドマンの招くように大きな扉が開かれ、オールドマンはその先へと消えていった。ツナはその開け放たれたままの扉に背を向けた。



赤と黒と灰色の世界への扉はツナに開かれた。




THE END

※九代目の名前あってます?いまいち読めない…。
なんのCPもなく、失礼しましたー。「あの人」については[馬鹿みたい]だを読むと分かります。