オレたちは幾つ捨ててきた?


あなたは微笑んだ。
ひどく、澄んだ笑いだった。

子供のように無邪気に、にっこりと。
ああ…あなたは壊れてしまった。

そのとき、オレの心に浮かんだのは喜びだった。



オレたちは幾つ捨ててきた?




10月31日。
ハロウィンの日。敵対マフィアから送られてきた綺麗にラッピングされた箱。

「なんすか、それ?」
「さぁ…?いちお爆発物の反応はなかったみたいだけど…」
「…敵対マフィアからのですよ?絶対あけないほうがいいですって」

オレの言葉に、そうだねぇと小さく首をかしげながらも十代目はそわそわと興味深そうに机の上に置かれいる箱を見ている。差出人は敵対マフィアのボスの名が書かれていた。これをおかしく思わないほうがおかしい。
血を血で洗う抗争をしているもの同士だ。間違っても嬉しくなるようなプレゼントではないだろう。

「あ、じゃあさ、獄寺くんが開けてくれる?」
「オレがッスか?別にいいですよ」

十代目の頼みなら、例え火の中水の中!火中の栗でも素手で拾って見せます!!
オレは一回箱を持ち上げてみた。結構な重さだ。ごとごとと箱の中でものが転がる音がする。机に置きなおし、ピンク色のリボンを解いた。十代目は何が出てくるのかと子供っぽく期待した目で解かれていくリボンを見ている。本当に十代目を襲名した今でも、この人はあんまり昔と変わった様子がない。オレはほほえましく思うと同時に、そんな十代目が羨ましく思っていた。
彼は日本にあった全ての生活を捨て、十代目になったはずだ。
日本を捨て、家族を捨て、生活を捨て、日常を捨て…けれど、ただ一つだけ捨てなかったものがある。


…笹川京子


あの女だ。
十代目が捨てきれない日常を纏う女。

あの女に、十代目は安らぎを見出す。

馬鹿な。
ふざけるな。

そんな女に優しい目を向けないで。
オレを見てくださいよ、十代目!

オレならあんたを守ってあげられる。
あの女に、あんたを守るほどの力はない。
あの女は、むしろあんたを堕落させるだけだ。
あんたを弱くさせる。


…そんなこと、許されるはずがない。


ドンは強くなければいけない。
ファミリーを守らなければいけない。


「何が入っているんでしょうね?」


言いながらカサリとラッピングをはいでいく。
そのとき、オレは鼻に付いた慣れた匂いにかすかに眉を顰めた。さびた鉄の匂い。オレたちマフィアの世界に常に満ちている匂い。

…血の、匂いだ。

やばいかも。と、オレは思う。なんだか知らないが、この箱の中に入ってるものは危険ではないがヤバイものっぽい。

「どうしたの、獄寺くん?」

手を止めたオレに、十代目が尋ねた。

「いえ…なんでもないッス」

どちらにしろ、この包みは十代目に当てられたものだ。遅かれ早かれ、十代目が中身についての確認をしなければいけないのだ。オレは息を吸い込んで、全ての包装を剥がした箱を十代目に差し出した。

「俺が開けんの?」
「はい。十代目に当てられたもんッスからね。どうぞ」

俺の真面目ぶった言い方に苦笑しながら、十代目はぱっと躊躇いもなく箱を開いた。


「……え?」


十代目は固まった。
ざっと、一瞬にして顔から血が引いていくのが正面から見ていたオレには分かった。ただならぬその表情に、オレも箱の中身を見下ろした。
生臭ささと血の匂い。さらさらとした栗色の髪に黒く媚びリついているのは変色した血。知らず、オレの口元にかすかな笑いが広がる。


「…きょ…こ…ちゃ…?」


十代目が戦慄く可憐な唇で、首だけの女の名を呼ぶ。

首だけの女。
中学生のころに比べたら十分に成長して美しくなった女は、それに見合う媚態を身につけていた。そのメスの匂いに気分を害したのはオレだけじゃなかった。十代目の恋人として、時たまアジトに顔を見せる女は、十代目を取り巻く世界を自分も知らなくてはならないと思い込んでいた。

馬鹿なことだ。
マフィアの男たちは、食物にする女以外の、本当に愛した女は大事にして、一切マフィアの世界には関わらせない。それが、マフィアの掟の一つだった。
なのにその掟をやぶり、純粋そうな顔をしてずかずかと土足でオレたちの領域に入ってきた女。こんな世界の人間たちではなかったら、あの女は職場の人気者になっていたかもしれないが、ここは違う。
ここは闇を生きるものが集う場所なのだ。

「京子ちゃ…?あれ?なんで…?」
「十代目…」

十代目は視点の定まらない虚ろな目をしながら、その首に手を伸ばした。オレはそれをとめようとした。そんな女の首から滴る血で、あなたの手が汚れることはないんだ。オレの手を振り払って、十代目は京子の首を持ち上げた。どんな風に殺されたのかは知らないが、大きく見開いたままの瞳には恐怖の色が滲んでいる。

「…獄…寺く…。おかしいんだよ、なんで京子ちゃんの首から下が無い…んだよ?」
「十代目!」

いい気味だ。暗い嘲笑が湧き上がるが、オレはそれを表には出さず、十代目に呼びかけた。

「しっかりしてください!十代目、死んでるんです。その首を渡してください!」
「死んで…?なに。嘘。だって目が開いたまんま…」

それ以上、女が十代目にもたれているのに耐え切れなくなった。オレは十代目の手から無理やり首を取り上げた。十代目はぼんやりとして首を取り上げることに抵抗しなかった。
オレはその首をまた箱の中に戻した。それをずっと目で追っていた十代目は、やがてうわごとのように呟いた。

「京子ちゃんは…京子は、死、んじゃったのかよ?」
「ええ。そうです」

そうです、十代目。
現実を見てください。
忌々しい売女はいなくなった。

もう、あなたの縋る日常なんてないんです。
やっと、あなたが本来納まるべき場所だけが、あなたのホームになった。

十代目は青白い顔のまま、唾を飲み込むと、ふらふらとまた箱に手を伸ばした。

「十代目、なにを…」
「大丈夫、わかった。わかったから、さ…。もう一度だけ…」

十代目は幾分理性を取り戻したような顔をして、箱から京子の首を取り出した。じっと、その首だけになった顔を見詰める十代目の顔は、人形のように白かった。十代目はそっと小さく吐息を漏らした。そして、片手で首をささえると、もう右手で、京子の不細工に見開かれた瞼を閉じてやった。それから無言で十代目は再び箱の中に首をしまった。

十代目は、血で汚れた手で顔を覆い、俯いた。

オレはしばらくはそっとしておいた。
十代目は今、あの女の死を認識しているんだ。

これを夢だと思わせてはいけない。
これは現実なんだ。

十代目に絡み付いていた日常の糸が、やっと切れたんです。

あの時、イタリアに渡ってきたときに本当はこうなっているはずだったんだ。
俯く十代目の姿を見ながら、オレは堪えきれない喜びに自然に口元がほころびだす。

ああ。

きっと、生まれる。
ドンのあなたが。
くだらない日常から切り離されたあなたが。


「…十代目」
「…」
「…十代目!!」


オレは口元を引き締め、悲痛な顔と労わる音声を作った。
一回目の声に反応しなかった。
さらに二回目、オレは一回目よりも強く十代目に呼びかけた。



「……コロセ」



高くも無く、低くも無い声が部屋に響いた。
オレはぞくりと背中が震えた。ゆっくりと緩慢な動作で十代目は顔を上げた。

真っ直ぐにオレを見詰めるのは漆黒の瞳。
感情の揺らぎを見せない、絶対者の瞳。

ボンゴレ・ファミリーの偉大なる若き十代目。
裏の世界の真の支配者。

冷たい瞳の奥に燻るのは青い炎。


「…アーリオ・ファミリーをコロセ」


ごくりと、オレは喉を鳴らして頷いた。
下されたのは、絶対的なアーリオ・ファミリーに対する殲滅命令。

コロセ。
一人も残さず灰と化せ。

あなたの命令なら、オレは命だって差し出す。
死ねと言われれば今すぐに死のう。

あなたを阻むものは、血の海に沈まそう。
茨の道もだろうが、あなたに従おう。

血の絨毯の上を、あなたに付き従おう。


「ご命令どうりに」


オレは膝を折って服従をしめした。
あなたはオレの全てだ。


「…頼んだよ、隼人」

おれの返事に、十代目は今の冷徹な表情が嘘のように微笑んだ。

無邪気なとても綺麗な笑みを。
誰もが見惚れるような透明な笑みを。


壊れた、笑みを。



the end