おぼろげな情景




真っ直ぐに振ってくる雨の中、黄色の傘をさし歩いていた。
踵から足を下ろすたびに跳ね返る水溜りはブーツの中にまで染み込んできた。

――こんな日に、皮のブーツなんか履くんじゃなかった。

雨が染み込んで変色したブーツのつま先を見下ろしながら、彼は思った。路面から跳ね返された地面からの雨は、踊るように飛び跳ねている。俯かせ気味の傘の斜面を雨が細い滝筋となって流れていく。か細い声に彼は傘を上に上げた。

黒と茶と黒。
捨てられて鳴く子猫よりも、その横で茶色の髪を雨に濡らし倒れている少年の方に視線を奪われた。

否。
彼がただの少年ではないことを知っていた。


「何をなさっているんですか…ボンゴレ十代目…?」

堅く目を閉じ、身を縮こませて意識を失っているのは、ボンゴレの十代目だった。



おぼろげな情景



―皆がオレに命をかける。
―庇い、死ぬ。
―死ぬ。死んでいく。
―人が死ぬのなんて、オレは見たくない。
―見たくないから…継いだのに…。



陽気な歌が聞こえてきた。
ところどころ雑音が滲む不明瞭な音楽に耳を打たれ、薄っすらとボンゴレ十代目は瞳を開いた。見られない薄汚れた天井が目に入る。首を少し動かして横を見ると、色あせた赤い一人用のソファと、小さな丸いガラスの机。脱ぎ散らかした服があちこちに落ちている。上着はソファの背に掛かり、靴下はふかふかと起毛が立っているクリーム色の絨毯の上に両方が離れて落ちている。
ぼんやりとそれらを見ていたツナは物音に視線を上げた。

「やっとお目覚めですか、十代目」

頭をタオルでガシガシと吹きながら、黒のレザーパンツだけを穿いたランボは簡素なベットから上半身を起こしたツナに呼びかける。

「?…ボンゴレ十代目?」

反応の薄いツナに少しだけ不審を感じながらも、ランボは自分が脱ぎ散らかした衣服をまたいでツナのベットに腰掛けた。
ギシっ軋むベット。

「目ぇあけたまま眠ってるんですか…?」

ツナは、まだ目が覚めていないのか霞みかかった瞳でランボを見ているだけだった。だが、ツナの頬に伸ばしたランボ手は、次のツナの言葉を聴いて伸ばした形のまま空中に固まった。

「あんた…だれだよ?」

冗談の欠片も無い、心底困ったような表情の中に、ランボほんの一瞬頭が真っ白になった。一流の殺し屋を気取っているのに、それほどまでに同様を誘われたことに驚く。

「…冗談でしょう?」

そう返してみたものの、ツナはラン簿を見知らぬ人間を見るように怯えて、かかっていた毛布を胸元まで引き上げてベットの背もたれまでにじり下がった。

「ボンゴレ…」
「誰だよ…。ここ、どこだよ!」
「落ち着いて下さい、ボンゴレ十代目」
「な…んだよそれ、ボンゴレってなんだよ?あさりかよ!」

視線をきょろきょろとさまよわせて、ツナは恐慌状態に陥ったように泣く一歩手前のような表情をした。

「あなたの…ことですよ、ボンゴレ十代目」
「知らねーよ!オレは…オレは…。ここどこだよ、どうしてオレがこんなところに…!?」
「沢田綱吉」
「なっ、なんでオレの名前…?」
「知っています。そして、その名を持ったものが間違えなくボンゴレの十代目…」

安心させるように微笑んで見せるが、ツナは警戒をまったく解こうとしない。
毛を逆立てた猫のようにフーフーと唸る。

「ボンゴ…いえ、ツナさん。あなたの年はいくつですか?」
「オレ…オレは…中学にやっとあがったばっかりで…」
「それはまぁ…」

参ったとランぼ額に手をやり天井を仰いだ。汚い薄汚れた天井を見てもなにも状況は変わらないのだがランボはそうせずにはいられなかった

この状態をひとことで表すのなら、…記憶喪失?
さて、どうするべきだろう。ここにいる青年はマフィアなら誰もが知っているような人間だ。たまたま保護したのがのが自分で良かったのかもしれない。いくら弱小マフィアとはいえ、少なからずボンゴレ・ファミリーの幹部面に名の知れている自分で。これが下手な人間に拾われたのならツナの身は人質にされるか、殺されるかで大変なことになっていただろう。

…いや、ランボが保護したとて、大変なことには変わりないが。

「ツナさん。取りあえずスモーキン…獄寺に連絡を…」
「ゴクデラって誰?」

うっとランボは詰まった。極寺のことも忘れているのか…。ランボは高速で脳を回転させてツナに通じそうな相手の名前を探した。
ポンっと手を打った。
いたじゃないか。ツナに分かる人物が。

「じゃあ、山本に…」
「山本…?山本って、あの山本?」
「どの山本か知りませんが。オレが言っているのは、山本武です」
「なんで山本に連絡すんのっ!?オレと山本、全然親しくないよっ!」

ツナにとって、山本はクラスメートで、自分とは住む世界が違う人気者という認識だ。その山本に連絡を取るとか言い出すこの男はなんなのだろうか?知り合いの名前出されたことで、多少は警戒を解いたが、そもそも、この優男は誰なんだ?

「奴なら、すぐ飛んできますよ…。すいません、彼らに連絡取るのもちょっと大変なんで、一緒に外で出てもらえますか?」

ランボはとても丁寧にツナに聞いた。ツナもなんとなく、この人悪い人じゃないのかな?と思ってしまった。自分を見る目が、本気で心配している目なのだ。ツナを外に連れ出すということは、誘拐監禁などのヤバゲな事件に巻き込まれているわけではないだろう。

たぶん。

ツナはためらいがちに頷くと、ランボが差し出していた手をとってベットから立ち上がった。ベットから降りて初めて分かったのだが、ツナは大きめな黒のトレーナーを着ているだけだった。ツナはなんんでオレこんな格好してるの!と、トレーナーの裾を下に引っ張って赤くなった。

「雨にぬれてたんで、着るもの乾かしている途中なんですけど…。一度シャワー浴びますか?」
「いや、別に…」
「浴びてきてください。それまで、替えの服を探しておきますんで」
「え。いや、オレはいいって」
「どうぞ」

問答無用でタオルを渡されると、ツナはシャワー室に放り込まれた。

「ちょっ…!」

ツナ閉じられドアとタオルを見比べて、しぶしぶとシャワーを浴びることにした。

ランボはいつもカーテンで締め切っている窓によって、カーテンをめくった。道や道路、車、建物の陰に不審な人物はいないか探す。いくらここが隠れ家のひとつであっても油断は出来ない。

…大丈夫そうだ。
ランボは窓辺から離れると衣装棚を開けた。彼が着ていた服はもう乾いているがあの、いかにも高級そうなスーツをあの青年が着ているのは周りの目を引くだろう。ならば、いつも彼が着ないような普通な服を着せなければならない。ランボはごそごそと衣装棚をあさった。全然使ってない膝丈のクリーム短パンを取り出す。上着は、先ほどからツナに着させている黒のトレーナーをあわせればいいだろう。

「あとは…」
「うわあああああーーー!」

ツナの突然の叫び声に、ランボは浴室のドアを乱暴に開けた。


「ボンゴレ!」


飛び込むと、もくもくと湯気の立っているシャワー室では、ツナが備え付けの鏡を見てあわわと目を丸くしていた。ツナがなんともないのをほっとすると同時に、あんな叫び声を出してどうしたんだろうと訝しく思った。

「どうしたんですか?ツナさん?」

シャワーの水がはねて、ランボの服が塗れたがそんなこと気にすることもないだろう。ランボは裸のツナに聞いた。ツナは鏡を見たまま動かない。

「あ、の。これ、オレですよね…?」
「え?」

ツナは鏡の中の自分を指差してランボを振り向いた。目が、こころなしかキラキラ輝いている。

「ええ、それは貴方ですよ」
「オレ…オレ、タイムスリップしちゃったんですか!?」
「…いや、そうじゃないですけど…」

タイムスリップ?
一体どこからそういう発送が出てくるんだろうとランボは呆れた。ツナは鏡の中の自分の成長した姿にびっくりして叫んだようだ。そりゃあ、鏡を見たら大人になってる自分がいるだなんて吃驚以外のなんでもないだろう。

「すげー…オレってこんなになるんだ…」

ツナはまじまじと鏡の己を見つめて、襟足だけが伸ばされてる髪を掴んでいじくった。

「…驚かさないでください」
「あは。ごめんなさい」
「着替え、置いときますんでどうぞ」
「ありがとう。…えっと?」

髪からぽたぽたと水を滴らせて、ツナは困ったように首をかしげて上目使いにランボを見上げた。

(無防備すぎる…)

ランボはこの状態のツナを前にしているのが獄寺だったら鼻血でも噴出して昏倒するか、理性を失って暴走を始めるだろうと推測した。あの男はちょっと危ないところがある。微妙にツナの裸体から視線を逸らしながらランボはツナが聞きたがった名を答えた。

「……ランボです」
「ランボさん?」
「ランボでいいです。貴方にさんずけされるなんて…へんな感じがしますので」
「あ。そうなの?じゃあランボ。ありがとう。あのさ、ランボって大人のオレの友達かなんかなんだろ?」
「い…はい」

いいえ、敵対組織のひとつです。とは流石のランボもいえなかった。
自分の置かれている状況が特殊なのは理解しているらしい。先ほどまでは毛を逆立てていた猫は、今はランボを大人のツナの知り合いだと思い込んで、無条件に信頼の目で見上げていた。

「まいったなぁ…」

ランボはシャワー室を出ると、額に手を当てて呟いた。ツナの大人に対するかのような信頼の目に、どこか不思議な気持ちになった。いつも、保護を求める目で観ていたのは小さなランボのほうだっ。
けれど、今。子供に帰ってしまったツナは、むかしのランボのような瞳で、すっかり立場が逆転してしまったかのようで変な感じだ。

「あの、ランボ。出たけど?」

控えめなツナの呼びかけに、ランボは振り向いた。

「あ、ああ。じゃあ、外行きましょうか。これ、かぶって下さい」

ランボはぽんっとツナの頭に野球帽子を被せた。襟足も無理やり帽子の中に隠させる。

「…まぁ、これならバレないでしょう」

どこから見ても、ボンゴレのドンには見えない。そこらへんにいるぶかぶかの服を着た子供だった。


+++++++++++++++


「…ここ。どこ?」

一歩外に出てすぐに、ツナが唖然としたように言った。シックな色合いの町並みと、そこを歩いている人々。明らかに日本ではない。

「ここはイタリアです」
「イタリアぁーーー?なんでオレ、イタリアにいんのっ?」

ツナは叫んで、きょろきょろともの珍しげに首を動かした。あんまり目立つ行動はさせたくないので、ランボはツナの手を引こうとしたが、やめた。両手が使えないと、もしツナを狙うヒットマンが来たら守ることが出来ない。

(ボンゴレはいちお…商売仇なのになぁ…)

幼少期からツナには多大なお世話になっている。いまさら恩をあだで返すことは出来ない。

(それにオレ、ツナさん自身は大好きなんでね)

ぶどうや飴玉をいつも与えてくれたのはツナだ。それは刷り込みのように甘い記憶として覚えている。

「どこいくんだよ、ランボ?」
「あなたのいるべき場所へ」
「ふーん…」

よく分からないのだろう。ツナは頭の上にはてなマークを飛ばしながらランボの隣を歩いた。尾行されていたときのために色々な裏道を通った。ランボのほうが足が長いせいなのか、ツナは少しだけ小走りだ。ぐるぐると回りながら、ある通りに出た。

「なに?どしたの?」
「ちょっと待ってくださいね、ツナさん」

路地に半分隠れながら、ランボは通りに眼を向けた。
幾人かの黒服――ボンゴレのところの男たちだろう――がいるが、肝心の山本や獄寺がいない。

ちっとランボは舌打ちした。
しょうがない。

「ちょっと。ここに隠れててください」
「あ、うん」
「来るようにいうときは、手を上げて合図するんで、気をつけて出てきてください」

ランボはツナに隠れるように言うと、路地から出て黒服の一人に近づいた。

「失礼ですが、ボンゴレの方ですか?」

たずねると、思いっきり不審そうにじろりと睨まれた。
やれやれとランボは思いながらも

「山本に連絡取りたいんですが」
「ヤマモト…?」
「ああ、"スカー・フェイス・サムライ"と言った方分かりやすいですか?」
「!!…お前、何者だ?」

裏の世界の通り名を知る男が、かたぎであるはずがない。黒服は警戒した。

「昔なじみですよ。ランボが大好きな飴玉を見つけた…と連絡してくれますか?」

飴玉と言う言葉にひっかかりを感じたのだろう。黒服はポケットから携帯を取り出すとどこぞに電話をかけた。なんどか問答を繰り広げ、やっと山本が出たらしい。

『なんだ?オレは今忙しいんだ』
「すいません。あなたと連絡を取りたいという人がいまして…」
『誰だ?』
「ランボと名乗っておりますが…」
『!代われ!』

黒服はランボに携帯を渡した。

「もしもし、お久しぶりですね…といってもそれほどではないですが」
『いいから、要件を言え』

山本は電話口に出たランボに低く唸った。

「ふぅ…。なに、オレの大好きな飴玉を見つけたんですよ」
『ツナだな!そこにいるのか?出せ!』
「…いますけど。出来れば、貴方が今すぐここに来てくれますか?」
『ツナは無事なんだろうな?』
「…オレが彼に手を出すと?無事ですよ…いちおう」
『すぐ行く。場所は?』

ランボは今いる通りの名前を告げた。電話を返すと、黒服は無表情に受け取った。

「何を話していたんだ?」
「貴方に話すことじゃない」
「…」

山本とランボの会話は日本語で行ったので、黒服には何を話しているのか分からなかったようだ。日本語って便利だなぁ…とランボは日本にいた時の経験が生かされて満足だ。ツナが隠れているほうに視線をちらりと向けると、首だけ覗かせたツナが手を振っていた。
黒塗りの高級車が道端に止まったのはそれからほんの数分後のことだった。あたりに散っていた黒服がわらわらと車を囲むように集まってくる。ただ事に見えない。ツナはランボが怖そうな黒服に携帯を借りてすぐに高級車が来たので怖くなった。一般人もツナと同じようにヤバイと感じたのか、辺りから蜘蛛の子を散らすようにどこかへ行ってしまった。
黒服の一人が、後部席のドアを開ける。ツナの場所からは、あいにくと誰が出てきたのか見えなかった。かろうじてランボの後ろ姿は見える。
颯爽と車から降り立った男に、黒服たちは礼をしながら辺りから守るように立つ。

「よう、小僧。挨拶はいい。ツナはどこだ?」
「開口一番それですか…。ま、別にいいですけどね」

ランボは手を上げた。黒服に緊張が走る。

「ランボ!」

幾分高めの声がした。ツナは一生懸命は走って、ランボの背に隠れた。黒服たちは、突然現れた子供を一体なんなんだと見た。山本はすぐに誰だか分かった。

「…ツナ!

山本はほっとして、笑顔でツナに呼びかけた。

「え?」

けれど、返されたのは予想外の反応だった。ランボの背中に隠れているのも変だったが、山本の顔を凝視している。ツナがランボに目で問うと、頷かれた。

ということは…やっぱり、これが山本?

黒服よりも仕立てのよさそうなスーツのシャツは黄色。顔は昔と同じで短く刈り込んでいるが、右頬に刃物で切られたような切り傷があった。左手には細長い鞘に入った刀を持っている。

「えっと…もしかして…山本?」
「ツナー。心配したんだぜ?」

山本は大きく笑った。教室で遠くから見ていた笑みとまるっきり同じだったので、ツナはほっとした。これは山本だ。

「あ。うん、…ごめんね。オレなんかのために山本に来てもらちゃって…」
「いいんだって。気にすんな」
「山本はなんでイタリアにいんの?仕事?」
「は?」

無邪気に問いかけてくるツナ。

なにか変だ。山本はランボに目を向けた。ランボは難しい顔をして、車をあごでしゃくった。"話は車の中で"ということだろう。山本はおもむろに黒服たちに顔を向けた。

「みなに告げろ。十代目は無事見つかった」
「はっ!」

ここにいたって、黒服たちは理解した。今、目の前にいる子供のような少年が我らが偉大なるボンゴレ十代目であると…。一斉に頭を下げた彼らにツナはおびえて、ランボの服を掴んで背中にしがみついた。しかし、「すげー、山本イタリア語ぺらぺらだよ!」と尊敬の目を山本に向けていた。


++++++++++++++


「どういうことか説明しろ」
「って、そんな顔して凄んだら、ツナさんが怯えますよ?」

ツナは高級車の内部の広さに驚きながら、ランボの隣に引っ付くように座っていた。はっきり言って、山本はそれが気に入らない。二人の正面に座っているのだが、ツナは山本をおどおどと見上げる。
変だ。おかしい。
ツナは車の中では帽子を脱いでいた。茶色のやわらかそうな髪が肩に落ちている。

「ツナさんは…」

言いかけて、ランボはツナを見た。

「あ、オレのこと?いいよ、話して」

気楽に言う。

「十代目は…記憶喪失です」

沈黙。

「マジで?」
「マジです」

半信半疑に聞き返した山本に、ランボは真剣な顔で頷いた。


「………えっ!これって夢じゃなかったのかよ!!」


ツナが一拍遅れてすっとんきょんな声を発した。

ランボは呆れた。
山本も呆れた。

「ツナさん…夢だと思ってたんですか?」
「うん。だって…オレの見る夢って色付いてるし…」
「ツナ…お前…気づけよ…」
「あはは…」

ツナはごまかして笑う。実はツナも結構シャワーのお湯が熱かったことや、歩きつかれたことなどから、夢じゃないかも…と思い始めていたところだった。

……それにしても鈍い。
鈍すぎる。

「で、オレって記憶喪失なの…?」

不安そうにツナは二人を見た。可愛かった。

「ええ。ツナさんの記憶は中一の最初の辺りでいいんですよね?」
「うん。オレ、こないだ入学して二ヶ月くらいかな…?」

思い出すようにツナは言った。

「オレと一緒のクラスだろ?」
「うん!山本って凄いんだよ。一年なのに、野球のスタメンに選ばれたんだぜ!」
「…あー。そうだったな」

昔の自分を自慢するように話すツナに、山本は悪い気はしない。

「…っと、ごめん。山本は山本なんだよね」

自分が山本本人を前にして興奮して話していたことにツナは赤面した。ランボは優しい目をしてツナを見守ったあと、窓から見える風景に目を向けた。

「どこへ向ってんですか、車は?」
「本部だ」
「本部って、なに?山本の会社?」
「「……」」

二人は顔を見合わせて、どう説明したらいいものかと悩んだ。

「あれ?なんで黙るの?」

場の雰囲気が読めないらしい。

「…取りあえず、獄寺…いや、アイツが出てきたら話がこじれるか?まぁ、着いたらどうにかなるだろう」
「オレも言ってもいいんですか、ボンゴレの本部へ?」
「ツナはどうしたい?ランボはいなくてもいいか?」

ランボが遠慮しようとすると、山本がツナに聞いた。
ツナはランボの服を掴んだ。

「出来れば、ランボも一緒に来てくれるいい…」
「ツナさん…」

困ったようにランボは掴まれた服を引っ張った。
けれど、ツナは離してくれない。
ドナドナと売られていくように見捨てないでと必死に瞳が訴えている、
どうやら、生まれたての雛のようにランボに刷り込みが入ったらしい。

「っと、こういうこった。ランボも一緒に来てくれ」

山本は膝を打って、にっと笑った。


++++++++++++++


「すげー…」

一歩その中に入って、ツナは高い天井を見上げて思わず言った。すげー以外のほかの言葉が見つからない。日本ではしゃべる巨大黒ネズミの住むテーマパークの真ん中にある城みたいだった。大きな広間に通された。

「十代目!!」
「うわっと!?」

山本がドアを引いてくれて、ありがとうと言いながら中に一歩は踏み込んだとたん、むぎゅっと誰かに身体を抱きしめられて視界が真っ暗になった。

「十代目!よかった!ご無事だったんですね!」
「ちょ、離し!!」
「オレ、心配で心配で…。お願いですから、オレを放っていなくならないでください」
「くーるーしー!」

じたばたともがくツナをよそに、その男は離すもんかとますます腕に力を込める。助けてくれ!とツナが胸中で叫んだとき、救いの手を山本が差し伸べてくれた。

「獄寺。ツナを離せってば。今はお前のラブコールに付き合ってる暇はねーよ」
「うっせぇ。てめーはもう帰れ」
「帰れって…ここ、いちおオレの本宅でもあるんだけど?」
「それでも出てて。そして帰ってくるな」
「酷いな。オレ、ツナの右腕だぜ?」
「てめぇは右腕じゃねーよ!一億万歩譲っても、精精左手の親指だ!」
「じゃあ獄寺は小指の爪だな」

二人が言い合っている間に、ツナは獄寺の腕からそれとなくから逃げ出した。

「大丈夫ですか?ツナさん」
「ランボ…く、苦しかったぁ…」

よれよれとなってツナはランボの腕の中に身体を預けた。これにはランボはちょっと慌てたが、まぁ、ツナの中身が中一の子供だと思い出してぽんぽんと背中を叩いてやる。

「あーこの牛ガキ!!なに十代目に触ってんだ!」

ツナはこのとき初めてその男の顔を見た。ひぃっとツナは悲鳴を飲み込んだ。その男の顔は、ツナから見てもカッコいいと思えるほど整っていたが、凄まじい眼光でこちらを睨んでいるのだ。怖くてツナは震えた。ランボの背中に慌てて隠れた。

「なんでそんなやつの後ろに隠れるんですか、十代目!!」

獄寺はまったく持って気に食わない。今にもツナをランボの背中から奪い取ろうとする獄寺を、まぁまぁ落ち着けと山本が抑えている。

「あ、あの人、誰?」
「…ツナさんに命も心も身体をすべて捧げている、男です。間違っても、ツナさんに危害を加える男ではないことは、オレが保障します」
「命も心をって…」

ツナ、無意識的に"身体も"の箇所をはじいたらしい。それはとても懸命な判断だ。記憶がなくても、防御はしている。

「獄寺。よーく耳ん穴かっぽじって聞け」
「んだよ」
「…ツナは記憶喪失だ」
「ああっ?」

獄寺は山本を振り替えもせずに、眉間のしわを増やした。言葉の意味があまりよく飲み込めていないようだ。

「だから、記憶喪失。獄寺のことは知らん。オレのことは覚えてるけどな」
「山本は覚えていて、オレのことは忘れた…?」

呆然と獄寺はランボの背中のツナを見つめた。ショックを受けて目を見開いてこちらを見てくる獄寺の様子に、ツナはいたたまれなくなった。山本は微かに暗い喜びを秘めた目で見ている。

「すいません…」

ツナが小さく誤ると、獄寺ははっとしたように叫んだ。

「十代目っ!!山本の野郎は覚えてて、オレのことは忘れたんですかっ!?」

そのまま、涙を流しそうなほどの勢いで言われてツナは首を竦めてごめん、と謝った。

「正確には、中学一年…オレたちに会う前までの記憶後退、といったほうがいいかもしれません」

ランボはツナを背後から前に押しやって、冷静に言った。

「原因に心辺りは?」
「…ある」

ランボの問いに、獄寺は苦い顔をして息を吐いた。自分の髪の毛を片手でかき乱しながら、獄寺はここではまずい、といった目配せをした。どうやら、ツナの前で話しにくいことらしい。

「別の部屋で話すか?」
「え。オレも聞きたい。だって、オレの記憶のことなんだろ?」

山本の申し出に、またもやツナが好奇心満々で口を出した。逡巡した獄寺だったがどっちにしてツナに話さなければいけないことだと思い重い口を開いた。

「…笹原京子。昨日はアイツの一回忌だった」

すっと、山本とランボの目が細くなる。その名が示すところはただひとつ、ツナの想い人"だった"人間。過去形だ。彼女は失われた。一年前に。
そして、ツナは壊れたのだ。
血と硝煙と罪を纏うボンゴレのボスとして、生まれ変わったのだ。

三人の真摯な目がツナに注がれた。昨日は墓参りに行こうとして車を出し、少し目を放した隙にどこかへとツナが行方不明になってしまたのだった。
ツナにとって京子は最後の良心だった。彼女が死んで、それがはっきりと分かった。彼女の陰口をうっかりツナの耳に入るように叩いてしまった部下の一人が、無表情にツナに撃たれたのは記憶に新しい。京子の名はボンゴレ内部では禁句に近い。
三人はツナがどんな表情をするのかと緊張した。だが、ツナはまるっきり分からない人名に眉をひそめただけだった。

「……ササハラキョウコ?って誰?」

彼女を、忘れたのか?

「ツナ?お前、オレのことは覚えてるんだろ?」
「うん山本は覚えてるよ。オレと同じクラスだったし」
「笹原も、オレたちとおなじクラスだったんだ。よーく、思い出してみろ?」
「え、う、うーん…」

しゃがんで、ツナと同じ目線になった山本が言われ、ツナは必死になって記憶を探る。完全に覚えていない中学のクラスメート…その中に、そんな名前の子はいなかったと思う。けれど、山本たちの手ごたえからすると、クラスメートにいるらしい。
ツナは顔を曇らせた。

「他の奴らは覚えてるんだろ?オレとか、川田とか栗原とか近藤とか!」
「そこらへんの奴らは分かるよ」
「…笹原京子は?」
「その子、分からないんだけど…そんな子いたっけ、うちのクラスに?」
「ちなみに獄寺は?リボーンは?」
「えっと、獄寺っていうのはそこにいる人でしょ?リボーンって誰?知らないんだけど…」

山本はツナの記憶の状態を大体把握した。
ツナは中学一年の、リボーンたちがやってくる前の記憶は持っている。しかし、覚えているはずの記憶から"笹原京子"だけが消えている。山本は笹原京子が殺されたときのことを知らない。獄寺だけがその時のツナを知っている。変わるってしまったその瞬間のツナを。
山本のことは覚えていてくれているでまだ良かった。獄寺やランボは、まったくツナに忘れ去られているのだ。
オレのことだけ覚えている…。
それはまるで、ツナがオレだけのもののようではないか?

「山本…?」
「ん?悪ぃな、ツナ」

二カッと笑って山本がツナの頭を撫でると、ツナは恥ずかしそうに顔を赤くした。

「で、ツナさんどうするんですか?」
「…ずりぃ。どうして山本の野郎は覚えていてオレのことは忘れてるんですかぁ、十代目ぇー!!」

ランボが静かに聞き、獄寺は恨みがましく涙目だった。

「どうするって言ってもなぁ…記憶ないのに仕事は出来ないだろ?」

記憶がなく、ボンゴレのボスとしての自覚のないツナを本部に勤務させてもなにも出来ないだろう。

「山本!聞きたかったんだけど、オレってなんの仕事してるの?山本と一緒の会社なのか?」
「それは…秘密だ」
「教えてくれてもいいじゃんか、山本!」
「未来のことだし、知らないほうがいいよ。どーせそのうち思い出すだろーし」

オレってどんな仕事についてるんだろうか。ツナはかなり気がかりだった。中学入学したときもまだまだ将来なりたいもの夢や希望はなにもなかった。入れたとしても三流会社のサラリーマンで、イタリアに来ているのも出張かなんかなのかなぁと思っている。
…まさか、イタリアに永住計画のイタリア・マフィアのドンになってるとは夢にも思っていない。夢にすら思っていない。

「どーっすか。ツナ」
「オレ…」

どうしようと言われても…とツナは躊躇う。山本は仕方ねぇなぁとランボに目を向けた。

「小僧。お前がツナの記憶が戻るように世話しろ」

ランボは山本と獄寺にツナを引き渡せたことだし、そろそろ帰ってもいいかなぁと思っていたところだったので目を剥いた。

「はぁ?!なに言ってるんですか。オレは関係ないですよ!」
「ツナはさ、ランボんとこで世話になるの嫌か?」
「ちょっと。オレ抜きで話進めないで下さいよ!」

ランボが慌てて話に割り込んだ。ツナはランボがすぐ近くに来たことに、無意識のうちに安心したようにほっと息をついた。

「牛ガキんとこに十代目を預ける必要なんてねーよ!オレが十代目の世話を…」
「お前んとこなんか預けられねーよ、万年発情男」
「なっ!てめぇーに言われたかねぇよっ!!」

獄寺が申し出るが、即座に山本によって却下された。獄寺がツナに目線を送るが、どう見たって派手で目つきの悪い獄寺にツナは引いている。任せられるはずが無い。ツナに怯えられていることに多大なショックを受けながらも、獄寺はしぶしぶと引き下がった。

「山本がツナさんを預かれば一番いいと思うのですが?」

ランボが押し付けられては堪らないと、一番ナイスと思える言葉を発した。けれど山本は首を振った。

「こっちも、色々忙しいんだ。一週間、預ける。一週間たったら、迎えに行く」


++++++++++


ランボとの生活も残すところあと一日になった。

「墓参りに、行きませんか?」

唐突にランボが言った。

「え…誰の?」
「笹原京子の…」
「でも、オレその子のこと知らないし…」
「それでも、行きましょう」

ランボは強引に手を引いてツナを部屋から連れ出した。

緑絨毯が広がる、集合霊園の一角に、彼女の墓はあった。日本に骨だけ送り返すという案もあったらしいが、彼女はイタリアの地に骨を納めることを望んでいた。墓の前に立ってもツナはなんの感慨も抱かなかった。知りもしない人間のために、涙を流せる人間は少ない。
墓地に来るまでに買った花を、ランボから受け取って墓の前に添えた。

「……泣いて下さい。ツナさん」
「ランボ?」

ツナはランボを見上げた。ランボの向こう側の空は灰色に曇っている。

「京子さんは死んだ時…あなたは何を想ったんですか…?」

優しく、ランボの指先がツナの頭をなでる。昔よく、ツナにやってもらったように。

「あれ…?」

ツナは目を瞬いた。頬を、何か熱くて冷たいものが伝っていく。

「なんでオレ、泣いてるの…?」
「泣いてください。あなたは、悲しかったのに…泣けなかったはずだ」

ぽろぽろとツナの意識に関係なく涙が留めなく溢れてくる。


「ひっく…オレ、は…んっ」



――オレは、京子ちゃんが死んで、悲しかった…。



ポツリ
ポツリ


空から降り始めた雨で、どこからが涙で、どこからが雨なのか分からなくなった。ツナは顔をぐちゃぐちゃにして泣いた。

「ランボ…。嫌だね、またオレは逃げようとしてた」

ランボの肩に顔を埋め、泣きはらしたツナはやがて顔を上げて言った。

「獄寺くんに謝らなくちゃ。山本にも心配かけた。ランボも、ありがとう」



降り出した雨は、いつかやむだろう。
そして、おぼろげだった情景は。


ツナはゆっくりと瞳を開いて、冷たく目を細めた。


「…オレは、もう逃げないよ。敵や裏切り者は…消えてもらう」



…鮮明に、なる。






the end

気持ち的にはランツナで、山ツナ。ドンボンゴレだと、ツナ京前提ですね…いや、うん。それってちょっと微妙です。大丈夫、そのうち死んだ京子ちゃんより生きているファミリー連中のほうに愛が傾きます。死んだ人より生きている人です。