優秀な飼い犬の条件




『ああ生きてるってすばらしい!って感じながら生きてほしいのよ!』




「十代目?なに笑ってんスか?」
「あ、いや。ちょっと思い出し笑いをね…」

知らず、笑ってしまったらしい。
――きっとソレは、底冷えするような冷笑だっただろう。

「まさか、こんなことになるとは思わなかったよなぁ」

テーブルの下で身を伏せながらツナは呟いた。

「ほんとっスね。すいません…オレが十代目を無理やり連れ出したから…」
「なに言ってんだよ。元々オレが来たいって言ったからじゃん!」

腹ばいになりながらも、気にしないでよと笑いかけた。
ツナは誤魔化すように笑みを打ち消して、手元にと意識を向けた。カチャンと軽い音を立てて安全バーを外す。ずっしりと確かな質量でツナの手の中にあるのはツナの愛銃。禍々しい黒い輝きを放つソレををしっかりと掴みながらツナは深呼吸を一回する。


沢田綱吉と獄寺隼人は二人で最近話題のレストランに来ていた。
地元メディアや雑誌に取り上げられるようになったそのレストランの数々の料理映像を見たツナが「行ってみたいなー」と呟いたのがきっかけだった。
「なら、行きますか?」と誘ったのは獄寺だったが、最初は、そんなところに護衛も無しで行けないし、仕事もしなきゃいけないから…と残念そうに首を振ったツナだったが、頻繁に取り沙汰されるレストランに、とうとう我慢出来なくなって獄寺に缶詰めしているアジトからこっそり抜け出す手配をしてもらった。
最初は断ったのに、今度は自分から誘うのはかなり勇気がいったが、獄寺は笑顔で手はずを整えてくれた。ドンが動くとなると、それ相応の護衛策として近辺警護やら下見やらなにやらで物々しい雰囲気がかもし出されることは絶対だ。ツナとしてみてもあまり大人数で目立って行動することは避けたい。なので、アジトからこそっりと抜け出す手はずを獄寺に整えてもらったのだ。

久々に護衛も連れずに外に出たツナははしゃいで、生き生きとした笑顔を獄寺に向け、獄寺は幸せ一杯だった。迷子にならないようにと繋いだ手も、ツナは恥ずかしがりながらも取ってくれた。

(このままオレ、死んでもいいかも…)

獄寺はツナとのデート(ツナはそうは思っていないかも知れないが…)を心の底から楽しんでいた。

シチリア島内の沿岸にあるレストランに行くまでに、獄寺の運転する車で一時間ほどだった。獄寺としては二人っきりで出かけられるということはデートだ!とうきうきしながらツナとの久々の二りっきの行動を喜んでいた。ツナにしてみても、デートとまでは思っていなくても、久しぶりに獄寺と遊びにいけると喜んでいた。
洒落た店内は、落ち着いた内装で席は客で埋まっていた。高級とまではいかない値段の料理なので、背伸びして頑張った下級から比較的余裕のある中流と階層の幅も広い。二人は店内の中心近くの席に案内された。

「あ、このメロンあまーい!」
「オレの分も食べますか?」

前菜の生ハムメロンの生ハムだけを先に平らげ、メロンだけを食べたツナがうれしそうに声を上げた。獄寺はニコニコと笑いながら、自分の皿もツナに差し出そうとしたが、慌ててツナは辞退する。

「いいって。獄寺くんの分なんだから!それに子ども扱いしないでっていつも言ってるだろ?」
「いえ、オレは十だ…沢田さんが美味しそうに食べるんでそれだけでお腹一杯ですよ」

笑顔のままでさらりと獄寺は言った。あーうー…と、ツナは口をパクパクさせながら耳まで瞬時に真っ赤になった。

わー。十代目ったら可愛いなぁとますます獄寺は笑みを深くした。
イタリア人も真っ青なスマイル全開だった。

「あ、最初の料理が着ましたよ」

テーブルに置かれたトマトのクリームスープをスプーンですくって口に含みながら、ツナを伺うと、まだ赤い顔をして大きな目を上目使いで獄寺を睨んでいた。
しかし、獄寺には自分の睨みはまったく怖くなくて通用しないと悟り、ツナは不貞腐れたように唇を尖らした。

うっわぁ、なんかもう、オレこのまま十代目を抱きしめてキスしちゃいたいんですけど!獄寺は暴走しそうになる自分を必死で押しとどめる。こんな公衆の面前でそのさくらんぼの唇にキスしたら、シャイな十代目は目を回して倒れちまうっつーの!!獄寺はだらしなくへらりとなりそうな口元を引き締めながらスープを飲み干した。

「獄寺くんさぁ…そういう口説き文句はオレに言ってもしょうがないんだから…女にいいなよ。女に!」
「そういうもんっスかね?」
「そういうもんなの!」

ツナはスープをぐるぐるかま混ぜながら照れて俯いたままの顔で言った。

獄寺にしてみれば女はただの性欲処理の道具にすぎない。いくらでも代えの利く代用品。そんな女に愛の言葉をささやくことなんて、出来ない。なぜなら、獄寺がすべてを捧げたいと思っている相手はボンゴレ・ファミリーの十代目、沢田綱吉だけなのだから。

オレが本当に全てをかけられるのは貴方だけだ。

愛しんで抱きたいと思うのも貴方だけ。
壊したいほど抱きたいと思うのも貴方だけ。

……愛と憎しみは似ている。

ツナという人間を知るたびに、そう、思う。

ツナは少しずつスープを飲んだ。小さなスプーンでは、上品にスプーンを動かさないと真っ白なテーブルクロスの上に赤い染みを作ってしまう。それがいやで、ツナは細心の注意を払ってスープを飲んでいるため、半場も飲まぬうちに、二つ目の料理が湯気を立ててツナと獄寺の前に置かれた。

「メインは子羊肉の炭火焼ですね」
「羊?」
「そうです、子羊のほうが羊独特の臭みがなくて美味しいんですよ」
「ふーん…」

ツナはナイフとフォークを持って、子羊肉を切り分けて口に含んだ。

「美味しい!」

じゅわりと口に広がる子羊の肉汁は、ソースによって臭みが消されて旨味だけを舌先に伝えた。にっこりと幸せそうに微笑んだツナだったが、一旦、ナイフを置いた。

「沢田さん?なにか気になるとこでも?」
「ううん。別に美味しいんだけどさー、オレとしては醤油味の焼肉の方が食べたいなーと思っちゃったりして…」

この言葉には獄寺も頷きながら苦笑した。

「生粋の日本生まれの育ちの沢田さんにはそう感じられるかもしれませんね。オレも日本に慣れたら日本食がかなり好きになりました」
「こっちに来てからさ、日本食の美味さが身に染みて分かったんだよね、オレ」
「大丈夫ですよ、慣れればイタリア料理も美味しいですし」

子羊肉は美味で美味しいが、さまざまな香料やハーブが加えられているので複雑な味だ

「うん。今でもちゃんと美味しいって思えるよ。だた、ちょっと…ね」

ツナはパクパクと切れ端を休めることなく口に運んだ。

ボンゴレ・ファミリーを十代目が継承し、マフィアの仕事も順調に軌道に乗っている。初めはいくら最強の暗殺者リボーンにマフィアのドンになるべく教育されたとはいえ、所詮はマフィアがなんたるかを知らぬ、平和な日本で育った子供と認識されてた。有能な補佐とともに十代目についたツナは所詮は血筋だけで選ばれた取るに足らない存在と思われていた。

しかし…


『血も涙もない悪魔』


と、彼を評したものは誰であったのかはすでに闇の中でわからない。

恐怖と畏怖を持って十代目はそう呼ばれるようになった。
それは二年前…笹川京子が敵対弱小マフィアに惨殺されたときだった。今度の十代目は亡き九代目の足元に及ばぬほど軟弱であり、情人の一人でも殺せば尻尾を巻いて日本に逃げ帰るだろう…そう、安易な考えで女を一人殺した。

それは、眠っていた悪魔を起こす結果となった。
十代目は絶対零度の冷たさを持って部下に命令を下した。

女子供も彼らに関係したものすべてを殺せ。誰一人生かすな。
アーリオ・ファミリーが地上にあった痕跡、すべてを抹消しろ。


ケシテシマエ


命令は寸分違わずに実行に移された。
女子供、命乞いをするもの、抵抗するもの、逃げようとするもの…刈り取られた。ボンゴレ・ファミリーによる、弱小マフィア:アーリオ・ファミリーへの皆殺しの制裁。

跡形もなくなった肉片と血の海だけ。

それが残されたものだった。それを聞いた弱小マフィアたちは震え上がった。
逆らってはいけない。
十代目は、冷酷で血も涙もない悪魔だ。

…そう、それでいいのだ。
獄寺は誰もが認める十代目を誇りに思う。それからの二年間、ボンゴレ・ファミリーの若き十代目が人前に姿を消した。公式な大ドンのマフィア会合の時にしか人前に姿を表さない。
謎に包まれた十代目。姿を見たものはファミリーの中枢の者たちだけ。

「ところで、黙って出てきちゃったけど、みんな心配してないかな?」

口元をナプキンでぬぐいながらツナが不安そうに聞いた。

「大丈夫じゃないっスか?いちお、書置きおいてきましたし」
「ちゃんと気がついてんのかなー」
「さぁ?どうでしょ。気がついてたら、今頃こっちに車飛ばして迎いに来ようとでもしてるんじゃないっすか」
「あー…そうだね。怒ってる、かな?」
「大丈夫ですって、アイツも十だ…沢田さんには弱いですから」

安請け合いをして獄寺はワインに手を伸ばそうとした時、怒声とともに発砲音が店内を貫いた。

銃声。
怒号、皿の割れる音、逃げ惑う人。

ツナと獄寺の行動はすばやかった。
音がしたと同時にテーブルの下へと潜り込む。


「十代目!怪我はありませんか!」
「な、ないよ!オレは大丈夫。獄寺くんは?」
「オレはなんとも」

単発的に銃声は止むことはない。あちこちからすすり泣くような声も聞こえている。獄寺はテーブルクロスの下から銃声の下方向へと目を走らせた。

「じゃかしい!てめぇらこっちの島でなにさらしとんじゃあ!」
「田舎もんんがイキがってんじゃねーぞ、糞が!」
「死ね!」

テーブルをひっくり返して盾のようにしながら、柄がいまいち悪い感じの男たちが互いに発砲している。
辺りには逃げ遅れ、頭を抱えてうずくまる一般市民がかなり残っていた。

ふと、ツナはその柄に赤い液体が滴っているのを見つけた。なんだろうと掬って鼻で匂いをかんでみるとトマトの匂いがした。どうやらテーブルの下にもぐる際にトマトスープを零してしまったらしい。
ぺろりと少しだけなめてみる。


―― まるでオレって吸血鬼みたい?


チュン−
と、空気を裂いて耳元をかする音がした。見ればテーブルの足元の木が、銃弾に寄ってかすかに抉られている。跳ね返った兆弾がここまで飛んできたのだろう。

『あんたには生きてるって素晴らしい!って感じながら生きてほしいのよ』

ただの何も知らぬ子供だったとき、母が言った言葉が突然脳裏によみがえった
今は会うこともない、日本に置いてきた母が夢見るように言った言葉。

母への嘲笑に、口元がゆがむ。

確かに、生きていることは素晴らしい。この、いつ死ぬともわからぬ生と死と隣り合わせの暗黒の世界。隣で笑っていた奴が、次の瞬間血を吹いて死んでいる。そして、守られて生きているのはオレ。

なるほど、生きているのは素晴らしい!
死ぬ瞬間までの、生きていることへしがみつくぎりぎりの綱渡りの世界。


ねぇ、これがあんたの言ってた生きているって素晴らしいってことかよ?


獄寺は再びテーブルクロスの下に隠れて、ツナに向き直った。
そこで、場に合わずに口元をほころばせたツナを見て不思議そうにする。

「十代目?なに笑ってんスか?」
「いや、なんでもないよ、獄寺くん」
「まさかこんなことになるとは思わなかったね」
「本当っスね。…すいません、オレが十代目を連れ出したばっかりに…」
「何言ってんだよ!もとはオレが行きたがったんだからさ!」

ほんと、すいません。
しかられた子犬のようにしょぼんとしながら獄寺はもう一度謝った。ツナは馴染んだ愛銃をいつでも撃てる状態にして手に持った。獄寺はそれから気を取り直したように店内の様子をツナに報告した。

「どうやら、地元のイキがったチンピラみたいっス」
「そうなの?」
「ええ、どうします。ぶっ殺していいんだったら、オレがさっさと終わらせますが」

言いながら、スチャっとどこからかダイナマイトを取り出すと、獄寺はタバコを銜えた。
考えるようにツナは黙ると、手を見つめた。


赤いトマトスープ。
血。
赤い首。
女。
死。


スイッチが切り替わる。
体の芯が冷たく冷えていく感覚。

トマトスープの付いた汚れた指先をツナは舌で舐め取った。
口内から除いたトマトスープよりも赤い、血のように色付いた舌に、獄寺は目を奪われる。綺麗になった指先で、ツナは自らの唇を拭うと赤いままの唇でついばむ様なキスを獄寺の頬に送った。銜えたタバコを落としそうになりながら、照れて頬を押さえる獄寺をよそに、ツナ冷然とした声で言った。


「殺せ。スモーキンボム。―オレの楽しい時間を邪魔したやつらを。…好きだよ、隼人」


感情の無い琥珀色の瞳で淡々と言い放つと、次の瞬間ツナは甘く微笑む。


――ああ、やっぱりあんたは狂人だ!
殺せと命ずる口で、オレへの愛の言葉をささやくなんて!

叫びだしたくなるような衝動が獄寺に襲う。
悪いことなどなにも知らぬような天使の笑顔で、あなたは悪魔のように死を求める。

けれど、あなたのためならばオレは付き従おう。


この、燃えるような情愛とともに。
あなたが手に入ることなどあるとは思わない。

けれど、命尽きるまでこの命をささげよう。
オレだけの、ドン。



「―si」(はい)



the end