動かぬ心臓は言う、これが




沢田綱吉が勤めるのは巨大な研究所である。
ボンゴレ研究所といえば「ああ、あの!」と誰もが何かしら実績を上げることが出来るほど世界に名の知れた研究施設だ。投入される研究費は凄まじく、また天才奇才異才の宝庫でもあった。
常に最新の設備を保ち、日夜研究に没頭する。少し常人とは違う世界の住人たちの塊である。
沢田綱吉はそこに勤めていた。





………掃除夫として。

綱吉は自分が掃除夫としてでもボンゴレ研究所に勤めることが出来ているのは僥倖だと思っている。恐らく、可も無く不可もなく毒にもならぬ平凡中の平凡であることが決めてだったのだろう。馬鹿騒ぎもしないし、世間に目立つようなこともせず、派手な金を使うような人間でもない。真面目というか適当と言うか、地味に生きたいという姿勢が雇用される決め手であったのでは、と勝手ながら思っている。
暮らしていける金さえあれば余計な金銭欲もないし、女狂いなわけではないし、酒も飲まない、煙草も吸わない。
研究所での仕事は簡単だ。この研究所で生み出された最新鋭の掃除ロボットの手の届かないところを綺麗にすればいいのだ。

「ふんふんー♪」

綱吉はマスクの下で鼻歌を歌いながら壁にはたきをかける。なんて庶民的な掃除方法と侮る無かれ。意外に天井付近の側面には目に見えないほこりがたまっているのだ。放っておくといつのまにか目に見えるほどに黒ずんでいるなんてこともあるのだ。
白色灯の下に舞うほこりを見ながら、今日は仕事着を洗ったらさぞ汚い色になることだろうなと思った。
廊下の向こうから全体が白で統一されている空間に溶け込むように白衣を着た研究者がやってきたので綱吉は手を止めた。ここらの連中は一様に神経質な人間が多くほこりなんて太古の昔からあるに違いないものにたいして嫌な顔をする。無菌空間だろうとほこりぐらいあるだろうと綱吉は言ってやりたい。
廊下の端に寄り、綱吉は研究者に向ってちょこんと頭を下げた。
男は眼鏡をくいっと上げただけで通り過ぎた。軽く無視されているような気もしないこともないが、綱吉は気にしない。気にしていたらやっていけない。
むしろ、地味にいるかいないか分からない地味さで人生を送りたい。

「さてと…、うん、今日はこのぐらいでいっかな」

ボンゴレ研究所は広く、一日で全ての場所を手作業で掃除することは出来ない。物理的に不可能だ。綱吉は腕時計の時間がそろそろ勤務終了時間に近づくのを確かめてひとり満足気に頷いた。掃除道具が詰め込まれたカートを押して歩き出した。

「お疲れさんでーす」
「お疲れ様、沢田くん」

掃除部屋に帰れば、一足先に戻っていた主任が湯飲み茶碗でお茶を啜っていた。。

「悪いけど、これも一緒にダスト‐シュートに入れてきてくれないかい?」
「いいですよー。うわー、今日の廃棄物はおっきいですねー」
「はは、ここまで運んでくるのに骨が折れたよ…」

各研究室には個々にダストシュートが設置されているが、ダストシュートに納めることの出来ない大きなものは「ゴミ」と張り紙を張られて無造作に廊下に出されているか、電話で掃除室まで通信が入るので回収にいく。
最近孫が生まれたんだよ、と爺馬鹿を発揮しだした年配の主任が帰り支度をするのを見送り、よこっらせと綱吉は電化製品が大量に載せられたカートを押して奥に入った。







「うわ!やべぇ、…うぎゃ、うわうわうーーーー!死ぬー!!」

ジェットコースターも真っ青なスピードで先の見えない中を滑り落ちる感覚に綱吉は絶叫した。
ダストシュートへ粗大ゴミが引っかかり、手で押しこんでいたら服の一部が巻き込まれて綱吉も一緒にダストシュートに転がり落ちたのだ。真っ暗な中を右へ左へと滑り落ち、叫んだ自分の声の反射が煩い。
尻が摩擦熱で焼けるように痛い。服が破けて尻が丸出しになったら嫌だなぁ。

どこをどう滑っていったのか分からないが、やがて坂はなだらかになっり、ダストシュートの中で止まった。
ほっとしたのもつかの間、真っ暗の中は怖かった。上に戻るわけもいかず、このまま下へと降りるしかない。下を見れば、かすかに周りの真っ暗よりも光が見えている。
ああ、あの光のところまで行けばいい。尻で移動しながら降りていくと、光の根源にはどこかの排気口のようだった。金具が付いているのを足で思いっきりけりつける。
ガン、ガン、ガンと乱暴にけりつけること五回でやっと金具が吹き飛んだ。床まではやくニメートル。覚悟を決めてほいっと飛び降りる。

「っつ、痛たぁあ…、どこだここ…」

そこは綱吉、上手く衝撃を殺せずに腰を打ちつけた。

「うう、痛い…」

涙目で四つんばいになりながら綱吉はあたりを見た。薄暗いがところどころ非常灯の緑色の光が見える。床の上にはほこりがたまっている。綱吉はよろよろと立ち上がった。なにやらよく分からないがどこかの研究室につながっていたらしいことは分かった。床の上にごちゃごちゃとうねるコードの束。ウィンウィンと羽虫のような音をするコンピューターの稼動音。
ただ、机の上に置かれているコンピューターは酷く旧式に見えた。綱吉の自宅にあるパソコンの方がデザインが新しい。常に最新の機器を入れる研究所にしていは珍しいことだった。

「でも、どっちかっていうと途中で研究中止になったって感じかなぁ…」

研究途中で打ち切られることもたまにあった。結構な金をつぎ込むのだからそれなりに成果をだして貰わねば支援する会社としても成り立たない。
世の中はギブ&テイクで出来ている。綱吉もここで働いて早五年立つがその間に退去されられた『ほどほどの天才』というものを何人か見てきていた。このほこりの積もった机の上を指先でなぞった。

「とにかく、出口を探さなくちゃな…」

ふうっと指先に付いたほこりに息で吹き飛ばし、綱吉は気を取り直した。ダストシュートから廃棄貯めに落ちるとばかり思っていたので、臭いガラクタの中に落ちなかったのが素直に嬉しい。


「うっわー…、本物?生きてるのかな…んなまさかね」

興味本位から覗き込んでみると、そこに眠っていたのはうっすらと青白く光るカプセルの中に色とりどりのチューブで美しい人型だった。閉じられた睫は黒く長い。

「うわ、うわ、うわ!ヤバイ、俺なんか変なボタン押しちゃった!?」

カプセルの蓋が持ち上がる。





【起動準備完了】




ウィィ…


「…ってあれ、何も起こらないし。


綱吉は、ほっとしてまた人形に近づいた。




【声紋照合…―――クリア】
【視覚神経接続…―――開放】




「うわ!目が開けたし」

ギョロリと瞳が見開かれて、慌てて部屋の隅っこまで逃げる。目を開けたということは、生きている人間だったのだろうか。いや、でもなんか目の開き方がカッ!と言う感じで怖かった。とりあえず怖いものからは遠ざかるに限る。

【目標補足…―――照合行為開始】」

ゆっくりと男の手が上がり、上半身の力だけで起き上がる。カプセルの淵に手を掛けて立ち上がり、くるりと綱吉への方向へと首を向ける。その動作が妙に素早くて、綱吉は怯えた。
死んだように光のない瞳を持った男が逃げ腰になる綱吉に歩み寄る。

「く、くるなって!ごめんなさい!俺が悪かったです!許して!」

男が歩いた箇所にはくっきりとなにやら得隊の知れない粘液がつき、ペタペタと言うホラー張りの足音に綱吉はパニックで意味も無く謝り倒した。
ぎゅっと目を瞑る綱吉の前に男が立ち止まる。上から見下ろされ綱吉は目を見開いて硬直する。
男が緩慢な動作で膝を付き、両手を伸ばして綱吉の顔を包み込む。同じ目線になったところで、この男の不気味さは替わらない。なにやら死体が起き上がってあるいているような感じがする。

それを証明するかのように、綱吉の頬を挟んだ手のひらは氷のように冷たい。ぬるぬるとした保存液だかなんだかがが綱吉の頬にねっとりと付く。男の顔が綱吉の鼻先へと近づく。
なに!なんなのこの急接近!と別の意味で綱吉は恐怖を感じたが、顔を背けようとしてもがっちりと固定されているので動かせない。せめて目だけは瞑りたいと思ったが、あることに気がついて綱吉は逆に驚きに目を見張った。

(!しかもコイツ、息、してない!!)

鼻が触れ合うほどの近くにあるのに、相手の息使いが全く感じられないのだ。
瞳が合わさる。
綱吉は見た――…男の瞳孔がギュンとカメラのレンズのように広がり、綱吉の瞳を映しこんだことを。



【角膜照合…――クリア】



パチリ、と男が瞬きをする。一瞬にして、無機質から瞳が輝きを取り戻す。
それは明るい輝きではない。澄んだ輝きではあるけれど、明るくは無い…。それでも急に死人が生きた人間に変わった、と確信できるだけの劇的な変化だった。

綱吉から手を離し、男が一歩下がる。
床についていた手を取られ、なになになんなんだよ一体!?と思っている間に人差し指が生暖かい粘膜に覆われた。

「はいいい?」

綱吉の指は男の口に含まれていた。軽く歯で挟むようにされ指紋が舌の上にに押し付ける。



【指紋照合…――クリア】



「ッっ!」

含まれた指先が針に刺されたような小さな痛みが走る。





【――遺伝子情報照合…―――クリア…オールグリーン】













ふう、と目の前の得たいの知れない男が初めて息を吐いた。



「てめぇが、俺のマスターか」
「…はい?」


男は目を眇めた。
じっくりと綱吉を頭のてっぺんから靴のつま先までを眺めた。






「……俺の名はリボーン。貴様を守護するモンだ」



(最後にハンっと鼻で笑われて、この上なく不愉快だ)



070630