end

02-02












ゆっくりと時は過ぎる。
まるで、現実と夢が混ざっていて、自分がその場にいる実感が遠いい。






「……紅茶の御変わりはいかがですか?」
「……ん…いや、結構です。ありがとう」


カチャ、とソーサーからカップを持ち上げて首を振る。
紅茶は美味しいと思えるが、どうにも、紅茶よりも日本茶が飲みたいと思ってしまうのは日本人のサガだろうか。

まぁ、湯飲み茶碗でシキやアキラがこたつなんかでお茶を啜っているのを想像すると、アンバランスで笑いがこみ上げる……と、普通なら思うのだが、どうに も、感情の起伏が平坦になっているようだ。笑いのひとつも誘う想像も、虚しく脳裏を過ぎるだけだ。


気が落ち込んでいるのだろうか。
いや、これは違うだろう。これは頭が空転しているのだ。考えることが多すぎて、考えることが出来なくて全てが空回り!


良くない兆候だ。
こんな頭では何一つしっかりとした答えを出すことが出来ない。
誰もが、ときたま感じるのではないか。自分が現実と剥離してしまっているような感覚。


目に見えるもの、感じるもの全てが薄いベールを通したように不確かなもののようにおぼろげだ。



もういちど、僅かに残っているカップを両手で握って、ソファーに寄りかかり、大きく深呼吸した。背もたれに頭を預けるとやけに細かい装飾のほどこされた天 井が目に入る。
ぼんやりとそのシンメトリーな模様を眺める。





――…考えることは沢山有る。

あの、夢。
現実を夢にみた。(ああ、なんと変な言葉だろうか。現実を夢にみるなんて。夢を見るのは現実だ。現実があるからこその夢。夢の中に現実は無い)



現実での俺は死んだ。俺は覚えていない。知らない。

でも、夢の現実で俺は死んでいた。

俺の両親、友達、親戚集まって火葬だと?
そりゃ、死んだら火葬するだろうさ。けれど、その火葬の熱を俺が直に感じてしまったのはどういうことだ。





あの熱、熱さ、こげる肉、俺の肉体が消えてなくなり―――残るは、骨?
( かたちすら うしない さいごはなにも のこらない )





「アッハッ!…クックッ…!!」



意味が分からない。
あまりに意味不明で空虚で、なおかつ馬鹿馬鹿しく、なんともいえずに喉が引きつった笑いがこみ上げる。

だって、笑うしかないじゃないか!哂うことしかできない!しゃっくりのように、意思とは無関係に続くはじける哂い。押し込めようとするが出来ない。

笑える。
嗤える、哂えるなぁ、ええ、オイ!!


、さま…?」


給仕していたアオイは、突然発作的に歪な笑いを発した を異様なものを見る目で窺った。目を覚ましてから約一ヶ月。世話を任されてる彼の精神状態 が不安定であることは承知していた。いつも、ぼんやりと天井を見上げ、ここではないどこかに精神を飛ばしているばかりだった。だが、このような目に見えて 異常な哄笑をあげるのは初めてだった。だから、アオイは戸惑い、手を休めて の様子を注視した。


知ったことか!
それすらも気にならない。アハハ!なんだ、なんなんだ、これは!ガタガタと体が震え、自の存在が分からない。


俺は、俺自身の全て――肉体、記憶、魂―を持って、この世界にいるのだと思っていた。
よくある夢物語のトリップのうち、もっとも当たり前にある、“自分そのもの”で境界を越え、存在しているのだと!!


業火のごとく燃える炎にあぶられ、塵と消え去った現実での肉体。


では、この、肉体は?知らぬ間に肉体に刻まれていたアルファベットの刻印は?どうして俺はここにいる?シキはどうして俺をここに押し込めた?

咎狗というゲームの世界では生きている。(いや、正確にはゲーム後の世界、と言える)

生きてんの?俺、生きてんの?


涙腺が緩む。
人肌を求めるように、暖かさに縋り両手で握り締めたティーカップがギシリと、歪んだ音を立てる。


割れる?
なぁ、割れる?割れんの?壊れんの?壊れてんの?俺、壊れたいの?壊したいの?


少しだけ残っている琥珀色の茶面に映る俺の顔。



……見たくねぇ。

これ、ほんとに俺の顔なの?

疑惑がわきあがる。例えば、ずっと自分だと思っていた顔が他人のものだったら?
――――…吐き気がするような、胸の奥からのグルグルととぐろを巻いてからだを冒す気持ち悪さ。出口のない憤怒が身のうちをじわじわと毒のように廻る。

ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな!!!!!


疑惑がわきあがる。例えば、ずっと自分だと思っていた顔が他人のものだったら?
――――…吐き気がするような、胸の奥からのグルグルととぐろを巻いてからだを冒す気持ち悪さ。出口のない憤怒が身のうちをじわじわと毒のように廻る。


ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな!!!!!
苛立ちが収まらない。ついさっきまでは空虚感が体を覆っていたのに、今は何かに怒鳴りつけて壊したい、気持ちで一杯だ。
ふざけんな、消えろ!消えちまえ!全部全部、俺も、全部、全て消えちまえよっ!!




消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消シえろ消えロ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろキエろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消え ろ消えろ消えろ消ニえろ消えろ消えろ消えろタ消えろ消えろ消えろ消えキきえろク消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えロ消えろ消えろ消えろ消え ろ消えろ消えろ消えろキエろ消えろナ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えキき えろイ消えろ





――…俺は、なんでここにいんだよ。









バリンッ!!






「…――ッ! さまっ!!!」




悲鳴のようなアオイの声に我に返る。




「……え?」


きょとんと間抜けな顔をして、間近で俺の手を掴んでいるアオイを見上げる。



「どうしたんですか?」
「!……それは、こっちの台詞ですよ。ご自分の手元をごらん下さい」


きつい調子で言われ、手元を見るとカップが割れて少なかった中身が膝の上に零れ、さらにはよほどの力で握りこんだのか分厚いはずのカップが割れている。


「あ、あ…あれ?うわ、濡れてるし!」
「驚くところはそこではないでしょう!さあ、ここにカップを下ろしてください」


ズボンの膝の辺りがじっとりと濡れていて、
アオイが差し出したお盆の上にカップを下ろす。そこで、白い陶器にわずかに赤い液体が付着していることに気がついた。

「げ、血いでてるし!痛ってぇな、オイ!」


どうしてすぐに気が付かなかったのか不思議なぐらい、俺の手は血に濡れていた。目で知覚して、やっと引き攣れた痛みが手のひらと指先からじわじわと神経を 伝わってきた。
うわうわ!ブンブンと血を飛ばそうと手を振り回すとアオイが手首を掴んできた。


「心臓よりも上の位置に上げてください。そして、手首の血脈を押さえて…っと、ああ、両手ともですから出来ませんね。では、手を上に上げた状態で少々お待 ち下さい。今、救急箱を取ってきます」


言われたとおりの体勢で、アオイが一端部屋を消えるのを見送る。
ああ、血が流れてるな…血の流れを止めるためとはいえ、両手を天へと掲げるという体勢はどこか敬遠祈りのようで、または命乞いをしているようであんまり好 かない。



手首から腕へと赤く筋を作るソレに、は自然と舌を寄せた。

別に赤い血に心引かれて―…なんてわけは無い。そんな吸血行為を好んでやる人間なんていないだろう(ああ、でもシキは嬉々としてナノの血を飲み干していた な)。
俺が血を舐め取ったのはそのまま放っておいたら足元のクソ高級そうなラグに零れてしまいそうだったからという理由だ。貧乏性だな。


ツツッ――…と、腕に舌を這わせて味あうのは、鉄臭い俺の血だ。
手首に舌を押し当てると、ドクドクと脈打つ振動がした。





(動いてるな…)



すこしだけ、安心した。
心臓が動いていることなど、普通に生きていて改めて確認することはない。
動悸を確認するなんて試験前や走った後などぐらいだった。そのときは煩いぐらいに 早い心臓の音はいまはただ、ゆっくりと一定の鼓動を刻む。





ほどなく、救急箱を持って現れた。ソファーに座る俺の前に膝を付いて手のひらから手首にかけて、丁寧に真っ白な包帯を巻いていく。器用に包帯を巻くもの だ、と感心しながら作業を眺める。

「また、包帯が必要になりましたね…」

救急箱を閉じ、ほのかなため息とともに、アオイが俺に向って手を伸ばした。


「ッ…!!」


その手の向う先は、俺の首元。
自らの首、人体の急所に伸ばされる手に無意識に恐怖を覚えて大仰にビクリと首を竦める。



「ああ…!すいません」


俺の怯えを見て取り、アオイはすまなそうに手を引っ込めた。


「いえ…俺こそ」


緩く首を振り、自らの手でそっと首に巻かれた包帯を押さえるようになぞった。
事前に言われて首元に触られるのはいい。包帯を替えてくれるのはアオイだ。けれど、急に首に手をかけられそうになるのは、体が竦む。


今日の朝も鏡で見た己が首元。
醜い(の、だろうか?)くっきりと浮かんだ首を閉められた特有の鬱血。両手の指の形すら、くっきりと見えるその手形。


…シキによって付けられた、生と死の狭間。
命を、文字通り握られたあの時。



酸欠によって、むしろ――ふわふわとした浮遊感すら感じ始めたあの瞬間。



俺の命がいかに簡単に奪われるものなのか。凶器(刃)などなくとも、生身の手でやすやすと摘まれることの出来るとまさに身を持って体験した。











刻まれた絞め痕。
それは月日がたった今でも毒々しく残る。



――…まるで、刻み込まれた呪いのように。





※手と手首、そして首に包帯巻いた夢主を想像してください。病んでる。


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