モクジ





所詮、人はひとりでいきている。
non!そんなわけがない。
全部回っている。死ぬときはひとり?si!!
けれども、俺と道ずれに俺のからだの細胞が死ぬ。
体を構成する細胞が崩壊し、時を止め、血が止まり――死が訪れる。


死にたい。
死にたくない。


いつでも死んでしまいたいような。そんなことが永遠に起こって欲しくないような。
時は平等に過ぎる。
たとえ、肉体の成長が止まっていても、精神の上を通り過ぎた時間は存在するのだ。

――否。そもそも、"時間"なんて定義は、地球の自転や太陽の回る動きから人間が勝手につくったもんだ。

アヴァッチが死に俺はシチリアの町を出た。アヴァッチに拾われた俺、義理や人情が全くないというわけでもないが、アヴァッチの人生と見届け、ひとつのむなしさがまた胸を過ぎた。
マフィア世界にて、ヴァリアーに所属したことは俺の技能を上げてくれた。…そう、殺しに対する技能だ。
今更、という気もしないでもないが、一つ一つの動作の精巧さは上がっただろう。

ヴァリアーは戦闘集団ではあるが、その真価は暗殺の場面で発揮される。


一言で表すならば、狡猾。
人に乗じ、時に乗じ、場所に乗じ、闇に乗じ、ひそやかに相手に近寄り命を奪う。―――暗やみに潜む殺しを得意とするのだ。その逆に、派手なドンパチに向くのが守護者と呼ばれたボンゴレリングの継承者たちだ。

ヴァリアーの部隊では団体行動はあまり行われない。結束が無いというわけではなかったが、互いのことに必要以上に関わることのない、ほどよい距離感。詮索せず、されず、闇の中に身を落としたものとしてのまどろむ空間を作っていた。



――ああ、いや、もう過去の話をするのはよそう。


俺は小さく首を振り、目を開く。
足元にはレンガ焼きではなく、見慣れた灰色の密集したアスファルト。

どの世界でも、基本的に変わるのことのない空――…例え、赤色だろうが、灰色だろうが、何も見えなかろうが『空』と呼ばれるソレ…――が頭上に覆う。
きらびやかなネオン。早足に歩く人々。止まることを知らない、不夜城。


「さあ、誰か。俺に教えてくれ。ここはどこだ?」


【世界】よ。ここはどこの物語に属する【世界】だ?


その呼びかけに答える声など、もちろんなく。
俺は目に見える形でこの場所を確認した。

立ち並ぶビルの隙間からかすかに見えた赤い光。




「……東京、タワー?」





■□■




「あら、おかえりなさい。今日はお早いお帰りですね、さん」
「ただいま戻りました。ええ…まぁ」

顔見知りになった大家が声を掛けてきたので、そうと分からないように自然な愛想笑いで答える。

ここは、ゴクゴク平凡な世界だった。
ほとんど俺の生きていた世界と相違はない。【魔法】や【再生】と同じく、いうなれば平行世界というのが一番分かりやすいだろう。
西暦も俺が生きていたときとほぼ変わらない。多少の誤差はあるが【世界】を移動しているのだから、【時間】を移動したところでどうということもない。
イタリアの風も良かったが、やはり住み慣れた日本にいられるのは嬉しいことだ。例え、この【世界】には俺の生まれたときから知っている人間がひとりもいないとしても。

今現在、この【世界】がどこの【世界】なのか分からない。
俺が知っている漫画などの【世界】なのか、それともそんなものが関係ない普通の平行世界なのか…。
俺が判別できるこれというキーワードが無いのだ。それを思うと、今までの【世界】がいかに特殊なところが多かったのかと思う。

正直な話、俺が生まれたもとの【現実世界】に戻りたいなどと言うことは、すでにどうでもいい。
今更【現実世界】に戻ってどうなるというのか。そもそも、もとの【世界】に戻って、俺は何をしたい。誰に会いたい?
友達や両親にも会いたいとは思う。……しかし、それだけだ。

【現実世界】に戻って、就職して、家庭を持って、子どもを育てて?……なぜだろう、そんな自分がイメージできない。
あの【世界】にどうしても譲れない何かがあったわけでもない。しいていうなら、生まれた故郷への懐かしさ。
そう、懐かしさだ。

郷愁。

消え去った過去、積み重ねてきた俺の一部の歴史。
その足跡が無いことに、酷くむなしさに襲われる。

過去も未来もない、今だけがあればいい…なんて、カッコイイことをいう奴もいるだろうが、ふざけんな。
過去も未来も俺には必要だ。もちろん、今も必要だ。

元々、俺が【世界】に誘拐(【世界】に誘拐?なんて愉快な文脈だ!)されたのは、忘れも無い雪の日…はらはらと舞うおちる結晶がどこもかしこも真っ白に染め上げた日だった。


そして、俺は。


「…誰に会ったんだっけ?」


白と黒、そして赤。
色のイメージだけがぽんと浮かび、誰かに会ったのは憶えているのだが…雪が降った日、俺は誰かと会話を交わした。

――…美しかった、ただ、ただ(醜かった)

ガラス窓に手を当ててしばし考える。
冷たいガラス窓につけた手の指先が冷たくなってくる。まるで氷を触っているようだ。そこから体全てに伝播しそうな気がしてそっと離れる。


…うう、寒いな。
安いアパートは防寒措置がなっていない。ガラス越しにも外界の気温が漂い部屋に忍び込むのだ。
ストーブに電気を入れてから、ほのかに温まった頃合でふと、窓の外を見る。
東京は珍しく雪だった。

俺は東京都内のアパートで暮らしている。
金は【再生】時代の金銀を換金した……いやはや、新宿、池袋、町田などなど、世の中には悪の盛り場というところは存在する。世の中は綺麗ごとではなく、建前上の正義と悪で成り立っている。
切っても切れない関係だ。
朝が上るように夜がくる。そんな関係。



四年前。俺はこの【世界】にきた。
換金したついでに、俺は身分証明書を作った。昨今、偽造パスポートすら手に入る世の中だ。多少の金をつめば、どうにかなる。
それに、明らかに外国人の顔をしているならばともかく、俺の顔立ちは純粋な日本人ゆえ、偽造運転免許証および住民証を作るのは簡単だ。戸籍だって…買える。

それから、全うな働き口を探した。(まっとう、なんて偽造証明の3)とは言うものの、あまりおおっぴらに昼間にする仕事は出来ない。闇に紛れるような仕事で、いつでもトンズラすることが出来る。そんな仕事を探した。
清掃の仕事である。早朝から会社等の廊下やトイレを掃除するあれである。以外にも重労働のこれは、一人でもくもくと振り分けられた階を掃除すればいいので、ある意味気がらくだった。最初の何日間かは先輩の清掃員に仕事を教わった。

「まぁまぁまぁ、あなた、まだまだ若いんだからこんな仕事じゃなくて、ほかの仕事もみつけられるんじゃないの?」
「いえ、ちょっと。……俺。こういう仕事嫌いじゃないんですよ」
「そうなの?でも、これもずっと続けていけるしとこじゃないからねー。私みたいなどこも年齢で雇ってくれない人間ばっかりなのよー。ほかの仕事して、リタイアしてからこっちに来てもいいんじゃないかしらねぇ」
「まぁ…そのうち考えてみます」

とまぁ、清掃員には中年のおばさんが多かった。こういう輩はおしゃべりだというのは分かっていたが、総て曖昧に言葉を濁した。
大概は俺からの言葉を引き出したいのではなく、自分の家の夫に対する愚痴や、自立してしまった子供のこと、芸能人のゴシップについてなど、自分のしゃべりたいことを聞いてくれる相手がほしいのだ。
だから、俺はうなずいて聞いているふりをして、時たま相槌を入れてやればいい。

いろいろな【世界】を回ったがこうやって、誰も見ていない場所(ましてや、トイレとか!)を綺麗にする仕事なんてしたことがなかったな、と思った。
静かに一人で仕事をする。心が落ち着く。
ははっ!掃除をしていることで落ち着くって、こりゃどんな精神修行だか!!

おおむね、掃除の仕事はこつこつと金が入った。
小さなアパートに一人暮らし。何カ月かは食いつなぐことはできるぐらいの金はあったが、金は働かなくては入らない
だから、清掃以外にも、近くのコンビニで夜のレジ打ちもした。深夜のバイト代は割高なのでてっとり早くてよかった。夜にコンビニレジ打ち→そのまま早朝の掃除と、俺の日夜は逆転していた。さらに、家に至って暇なので、ほかにもバイトを掛け持ち。

血なまぐさくもなく、策略もなく、裏切りもなく、最小限の人間との会話のみで普通に生活する日々。
平和だ。俺の生まれた【現実世界】と相違ない。

だからこそ、この平和がありえないもののように感じられて、怖い。
何かが俺を追ってくるような、理由のない恐怖感と焦燥が身を包む。

だれか、早く早く教えてくれ。この【世界】はどこなのか。


(【せかい(漫画・アニメ)】の情報(記憶)なんて、そんな昔のこと、いちいち覚えていられるか!!俺の記憶は劣化する!当たり前だ!人間だ!人間だ!俺はただの人間なんだっっ!!)





■□■





唐突だが、ホスト、というのはいかがなものかな。

俺の感覚がおかしいのは
俺のアパートの隣にすんでいる人間はホストだった。なかなか顔を合わせることはなかったので、隣がそういう職業の人間だとは知らなかった。
だが、平日の午前中にふつうに家にいる男なんて、普通に仕事についていないんじゃないか?と想像力を働かせることは簡単だ。

世間一般の方々が、出社している時間にガタごとと隣の家から音がする。ベランダに洗濯ものを干して、それともなしに隣のベランダを見れば、かかっているのは男物ばかり。
……俺と変わらない生活をしている人間なんだろうなぁというのはすぐに分かった。

もう片方の各部屋の人間は高校生のようだ。
たまに学ランを着ている姿をなんどかみかけた。いまどきの男子高校生っぽい。

最近では、女の子がひとり出入りしている。かわいい顔した明るそうな女の子だ。いかにも、いまどきの女子高生っぽくスカートが短い。毎度のことながら、娼婦もびっくりな際どい短いスカートだ。

いったいいつからあんなスカートが流行りだしたのだろうか?
昔のすけ番ほどの長さにしろとまでは言わないが、男の目のやり場に困るような丈の短さは勘弁してほしい。


そんな女の子が出入りしているものだから、なんだ、彼女か?とからかってやりたいが、思春期の少年をからかうなんて危なそうだからやめておこう。そんな風にからかうほどの親しい仲でもないし。せいぜい顔見知りだ。
それにしても…どうも、気配からして、その彼女と同棲しているっぽいんだよな。最近子は進んでるねぇ。
まぁ、だからなんだ、と別に気にせずに生活していた。(下世話な考えは歳をとった証拠だな)

そんな希薄な御近所付き合い。
見たことのないお隣さんと、初めて会ったのは、洗濯物が原因だった。風に飛ばされた洗濯物が、ベランダを転がり、防火板の下の隙間から隣のベランダに入ってしまったのだ。


………しかも、パンツ。

ちょ、これは取りに行かねばまずいだろう。
本当はなかったことにしたいが、もしも、自分のうちのベランダに知らないパンツが落ちていたら、すごく気分が悪い。変質者が置いて行ったのかとも思ってしまう。(まぁ、ここは二階だからそれはあんまりないとは思うが)

ピンポーン
ピンポーン

2回、インターホンを押す。
中では音はしない。
でも、帰ってきているはずだ。このマンション、壁薄いからドアの開閉音はよく聞こえる。

ピンポーン
ピンポーン

再び押す。

コンコン


ついでに、ドアも叩いてみた、かるーく。

「あ〜…おまちくださーい…〜」

扉の向こうから、間の抜けた声がする。
どたどたと部屋の中を横切る音がして、ドアのかぎが外される。

「はい、どちらさまですか。新聞ならいりません、うち、読売とってるんで…」
「いや。朝早くからすいません。俺、隣に住んでます、というものですが」
「え?え…あ、はい。すいません、あの、なんか御用ですか?」

中から出てきたのは、よれとっとした赤のジャージーを着た男だった。
ぼりぼりと腹のあたりを掻きながら出てきたその姿は…完全にオヤジのありさまだ。二十歳そこそこの若さのくせに、かわいそうなことだ…。
髪の毛は金金の金髪で、眼に痛い。明らかに堅気のサラリーマンではない。こんな髪の色したサラリーマンがいてたまるか。

「朝早くにすいません」
「いえ、で?」
「ええとですね、私のうちの洗濯物が、隣に落ちてしまいまして…引き取りさせていただきました」
「あ〜そうなんですか?ちょっと待ってください」
「あっ」

すぐに取って返してベランダからとってきてくれそうな男をひきとめる。「?」と男が止まる。
俺は声をひそめて男に言った。

「…あの、お恥ずかしい話なんですが、落ちた洗濯物、下着なんです」
「は?うっわー…マジ?じゃなかったっ…すいません!はい、わかりました、ちょっとお待ちください!」

男はひっこんで、その、俺の下着を持ってきてくれた。……さりげなく、指先でつままれているのがなんとも哀しい。いや、俺でも他人のパンツならば洗濯済みであろうと、指先でつまんでしまうかもしれないから、人のことは言えないと苦笑いをする。
俺はそれを受け取ると、自分のポケットにねじりこんだ。

「ほんとに、お恥ずかしい限りで…すいません。ありがとうございます」
「…あは、いえいえ…まぁ、こういうこともありますよ。俺もあるかもしれないんで、その時はお願いしますね」
「はい…ええと…」
「あ、俺、飯田です。すいません、気が気なくて」
です。……お手数おかけしました」

お礼をいい、その場は終わった。
それにしても、下着を回収に行くって…本当に恥ずかしいなぁ…。

それから、たまに彼とは顔を合わすようになった。というものの、特に話すこともないが、
早朝のコンビニに来たこともある。その時の格好を見るともなしに眺めたら、「ああ、これ?」と、苦笑しながら俺に名刺を差し出した。

そこに書かれていたのは、「ホストクラブ ローズレッド ダイキ」

「そうそう、ホストなんですよ、僕。ダイキは源氏名ですよ」

今度はニヤッと笑い、ウインクをよこした。いらねぇ、男からのウィンクなんて冗談じゃない。

それからというもの、相手側は俺を同年代と踏んだのか(それは外見上ではある意味正しく、中身の話をしたら大きな間違いだ)、ゴミ捨て場やコンビニなどで会うたびに、俺に話を振るようになった。
まぁ、俺としては話しかけられれば話すし、俺は【世界】の住人と接触を持つことを否定しているわけではない。

はぁ、ニートしてんの?真面目そうだし、てか、真面目だし、普通に働けばいーんじゃん?」
「…別に。いいだろ。てか、俺ニートじゃなんだけど。普通に働いてるんだけど。コンビニとかその他もろもろ」
「だねー。でも、掛け持ちって結構つらくない?お金も少しずつしか入らねーじゃん」
「そうでもない。金がたくさんあってもしょうがないし。仕事して、暮らせるお金が入れなそれでいいよ」
「お金が入る仕事だったらなんでもいいってことかよ?」
「そうだな。ありていにいえば」

生きるために暮らせるだけの糧があればいい。

(そして、少しのスパイスが)









人間なんてものは、外見が多少不味かろうが、金と時間を掛けて磨けば見られるものになる。

割のいい仕事として面接に向ったのはいいが、その場で採用が決まったときは本当にいいのかと聞き返してしまった。俺は、自分でいうのもなんだが、平均的な顔立ちで…まぁ、その部分を考えれば、ボーイの仕事のほうが気が楽でいいとおもう。無駄な愛想を振りまく必要もないし。

…それを思えば、黙々とする清掃の仕事はいいものだったなぁ。今からでも遅くはない、清掃の仕事に戻ろうかな…。

そうは思うものの、半ば強引にこの面接の機会を作ってしまった飯田の顔をつぶすことはできない。別に、つぶしたところでどうということはないんだが…。本 当に、心の底からいやだった、こんなところにまで足を運ばずに逃げているし、このホストという俺に全くなじみがない仕事に少し興味があるのは確かだ。


ホストクラブ【ローズブルー】の店長は、年のころは三十代前半か…あるいは四十を越えているかもしれない。身につけているものの一つ一つに気をつかい、自 分を見せる方法をしっている。俺にはその価値は分からない、高級品で着飾る。そんなブランドだかなんだかは、生きるためには必要ない。
必要なのは食べ物と住む場所。それさえあれば、最後には生き残れる。


「そうなんですか…」
「そういうもんだよ。……でも、君は少し、普通なのに、なんていうか…」
「『なんか』なんですか?」


店長が言葉を捜すように、俺の顔を――…いや、目をじっとみる。
なんだろう。俺の顔になにかついているのか?小首を傾げて続きを促すが、店長は誤魔化すように首を振って笑った。


「いやいや――…普通に、清潔感がある人だなとね。…あ、こっちが採用書類。来週の六時にまた店に来てくれるかな」
「…はい、分かりました、本日はお時間、ありがとうございました」
「これからヨロシクね、くん」


立ち上がって、礼をする。


「店長ー!ロゼの在庫がちょっと空くなく…あ、失礼しましたッ!お客様がいらっしゃってたんて知らなくて…!!」

そこへ、ノックもせずに無遠慮に扉を開けて、ワインと思われるビンを掲げた男が入ってくる。俺と店長の視線を受けて、慌てたように表情を変えた。

「ユースケ…お前ナァ…まぁ、いい。ちょうどいいからいちおう紹介しておくよ。来週の水曜日から来てもらう、くんだ」
「どうも。雄吾です。お世話になります」
「あ、どーもー!俺は加持です!加持ユースケっていいます!」

軽い感じの男だ。今時…まぁ、俺の感覚では今時にはいる。黄色みが強い茶色の髪が長めに前髪が切られ、ウルフカット?(俺の語彙にはその表現しかない。なんとかカットみたいにこれにも名前があんのか?)だ。襟足の髪が妙に長い。

キツイ香水の匂いが鼻をつく。
…ああ、嗅覚もそれなりにISFにより強化されているので、敏感だ。ずっと同じ空間にいると鼻の奥が痛くなりそうだ。五感がよいというのも考えものだ。
意識的に、匂いを遮断するようにする。

すこし垂れ目の目元なんかは、妙齢の女性に可愛がられるタイプだろう。……もっと爽やかで甘い香りをつければいいものを…。胸が悪くなるあまったれた匂いだ。
眉間に皺がよってしまいそうになるが、堪える。堪えられないほどの悪臭というわけでもない。

「しばらくは、この加持について仕事を学んでくれるかな」
「うっそ!俺が教育係するんスかぁー?他にいるじゃないですか、ゴローさんとか、まっさんとか愛輝とか…!」

ぱちくりと瞬きをすると、男―…加持という男は、厭そうに眉をしかめた。
その感情の隠し方をしらない、よくいえばあけすけ、悪く言えば場を読めない。

「め・い・れ・い!お前も少しは順位上げてきてるんだ。新人も育てられて…っても、ボーイだけどね。ま、人間一人前になっていくもんだぞ。ユースケ?」
「うぃっス……」

しぶしぶと加持ユースケはうなずいた。

何事も経験だ。
飯田が紹介してきた店でボーイになってみた。それにしたって、やることは雑用だが。飯田の働く店の同列店で、ローズつながり…だそうだ。

俺の世話を頼まれた加持ユースケは、最初の見た目どうりに人懐こかった。

「俺ねー、こう見えて苦学生なんだよね。実家が仙台のほうにあるんだけど、すっげー村なの。街じゃないよ?村だよ村。集落って感じ」

ユースケは話出したら止まらない。ノンストップ野郎だ。

「俺の下に二人いるんだけどさー、だから俺の学費って出してもらえないんだよ。俺、頭だけはなんか良くてさ、快挙だよ、快挙!村のじっちゃんばっちゃん、友達み〜んな喜んでくれた!そりゃもう、まるで戦争に送り出される英雄みたいにね」
「帝都大学って、頭いいの?」

聞いたことがない大学名だったので、尋ねると、怪訝な顔をされた。

「はぁ?日本の最高峰っしょ?何ボケてんの?」

……まぁ、俺の記憶にないのに最高峰ってことは東京大学と同じってことだろう。ここは俺の【世界】じゃないから、どんなに似ていても、同じ形でも名前が違うなんてことはあるだろう。

大学の話は続く。

いわく、テニスサークルに入ったが、楽しくなかったのでやめた。
まぁ、もともとバイトで金稼がなきゃいけなかった、辞めてせいせいしたけどね。
そりゃさ、女の子と仲良くなるのはうれしいけれど、基本的に団体行動が好きじゃないし?(その軽い口のどこが団体行動が嫌いというのか)。
経済学の教授は、あれは絶対かつらだ、間違いない。
つか、眼鏡がまるでマンガみたいに四角くて、超漫画キャラ見たいなんだよ、ウケる。
あと、心理学の教授は驚くほど鼻毛がぼーぼーで、すごい気になる、あれ、どうなってるの?鼻毛でいったい、なに守ってんの?
そうそう、それで社会思想学の先生が、キラ派らしくてさあ、マジ熱く語ってて、若干引いたわー。あれ、きっと信者だよね。身近な信者マジこわ〜。
そう、それで、こないだでた宿題は、なんでもいいからテーマ決めて、レポート用紙三枚に書けば単位くれるんだって、超ラッキーじゃない楽勝!

……まぁ、彼の言っていることは総て聞き流して問題ない。


「あ〜そうなのはいはい」


適当に聞き流し、うなずく。

ここはやっぱり、自分の興味あることだよなー。将来の夢とかどう?将来、ぼくは、宇宙飛行士になります。なんちゃってね、なれないって!宇宙に行ける人間なんて選ばれた者って感じだよなー…。

「ユースケさん、いい加減にしてくれって。手ぇ動かせ」

開店前の掃除は、特に念入りにってね。いつまでも、無駄口を叩いてないで、誇りひとつなく、綺麗な夢の空間を演出しようじゃないか。


そう、………【世界】は案外、簡単に分かった。

ここは、【死帳】…【デスノート】の世界だった。
みるともなしに、テレビをつけたら、稀代の殺人者(はたまたは救世主?)の「キラ」の話を平然としている人間がいるのだ。
学識のあるお偉いさんが、政治家が、教祖が、リアリストが、真面目な顔をして「キラ」についてのディベートを行っている。
おいおい、ウソだろ?マジかよ。ここ、デスノートの世界なのか。

特に悪事を働いた覚えのない(もちろん、この世界で限ってのことだが。殺人なんてもってのほか。地道に働いて稼ぎ、人さまに迷惑をかけずに生きている、一般的人!それが俺だ!)俺にとっては、犯罪者をさばくというデスノートが全く脅威ではない。
俺のような一般人をデスノートなんて物騒なもので殺す必要なんて、皆無なのだ。
ごくごく普通の生活を送っている人が大半なのだ。デスノートは正しく生きているものにとっては、恐れるものではない。



「しかも、キラが消えてもう十年後の世界ってのはなぁ…」



死のさばきは十年前にぴたりと止まっている。
新聞やネットなども検索してみたが、キラの活躍は十年前を境に止まっている。もちろん、摸造犯を気取ったものが数件あったが、いずれもすぐに検挙されている。
これらのことを踏まえての結論。おそらく、すでにキラは死んでいるのだろう。

ひどく、醜い顔をして死んでいった主人公だった覚えがある。

――… 神、なんて似合わない。泥臭く、生にしがみつく、「人間」の最後。
それは、とても尊いものだと思う。生きることに卑怯になって何が悪い。あの時、あの男の最後のあがきに、みっともないと嫌悪を覚えていたが、今ではそれほどでもない。
仕掛けたゲームに負けた。だから、殺される。
死ぬのは嫌だ。いやだ、逃げたい。助けて、だから、俺を助けろ!!

――……死にたくない。

多くの人間に科した死。それが己の番になって、あがくのはみっともないか?ああ、みっともないな。もてあそんだ命の代償が、やっと自分に返ってきただけのことだ。潔く死ね!!……と、確かに思う。
だが、死の間際に、そんなに潔く死ねるか?
死にたくないだろう?何をしても、どうやろうと、死にたくはないのだ。あがけ、あがけ、あがくことこそが生への道。貪欲に、しがみつけ。
――だから、醜くも、キラはあがいたのだろう。本能に従って。人間らしく。


理性を超え、ただ、本能で死を恐れた。―――…ただの、ヒトだ。


世の中には、「キラ教」なんて宗教が一部にはびこっているらしい。いやはや、物騒なことだな。街頭演説だかなんだかで、駅前でよくみかける。


さて、俺の仕事はといえば、開店前に行って、掃除して、フロアの給仕をして、裏で簡単な盛り付けをして、されには会計などの雑用をこなし、人数が足りなければちょっとヘルプに入ったり。
いや、何もできないけどね、俺。ヘルプってなにすんの?って感じだ。

俺は初めて知ったのだが、風俗法では零時までしか営業しちゃいけないらしい。
だから、クラブは大体二部に分かれていて、1部が18時か19時前後くらいから0時まで、2部が日の出から11時〜12時くらいまでとわかれている。


「おっつかれさん!」
「お疲れ様です」
「あー…今日は飲み過ぎた。ゲロゲロ…胃薬、誰か持ってない?」
「飲み過ぎ〜毎日おれたちアルコール漬けだよなぁ、マジ肝臓悪くなるわ−」


さらに、零時に終わってからでもすぐに帰れるわけじゃなく、簡単な掃除や仕入れの準備、ミーティングがあったりと、なんだかんだで家に帰れるのは始発の電車でだ。
モーニングを駅中のファーストフード店で食べて、のんびりと早朝の散歩をがてらにゆっくりと歩いて自宅に帰る。

早朝にもかかわらず、アパートの下に少女がひとり、ぽつんと立っている。
少女は俺に気がつくと、軽く頭を下げた。

「あ、おはようございます」
「おはよう。朝、早いね」
「ちょっと、早く起きちゃったんで、ついでに…」

はにかんで笑う少女はかわいらしい。
隣に住む高校生の彼女だ。前に同棲していた、茶髪の女の子とはどうなったんだろう?と不思議に思うが、こちらの子のほうが素朴で素直にいい子そうだなぁと思える雰囲気の子で、好感がもてる。前の女の子もかわいくていい子そうだったけれど。
こちらの少女のほうが、こう、一緒にいてほっとできるっていうか…癒し系だな。


……ただ、うん。
ここ、壁薄いからいろいろと困るのだ。何がだって?男と女、思春期の二人がすることって…聞くな、野暮だ。


あー…この子はもう大人なんだなぁと生ぬるく、温かく見守っていきたいと思う。

隣の男子高校生には、友達はたくさんいるようで、何人かの人間が出入りしている。
それも、どんな関係なのかいまいちわからない幅広い年齢層だ。ほとんどが男だが、女も出入りしている。
なんだ、浮気か?とからかってやりたいが、思春期の少年をからかうなんて、しばらくしていないので自重した。反撃が怖い。





ボーイの仕事も板についてきた。
さまざまな人間模様が見える仕事というものは面白い。特に夜の世界で酒が入ると、その様子は万華鏡のようにくるくると変わる。
ホストは夢を売るというか…「自分」というブランドを売るっている感じだな。一夜の夢にふさわしい、相手の望む自分。

「かわいい子ねぇー、お姉さんと一緒にのまなぁい♪」

なんてぼったくりなんだ…と、毎回思うほどの高値を付けられたポッキーやらフルーツの盛り合わせやらを運んでテーブルに並べると、腕を掴んで引きとめられる。
綺麗に整えられた爪にはデコレーションがされていて、ああ、爪がデコされている女は道具で自慰するんだっけ?と、どうでもいい知識が飛び出してくる。

「いえ、俺、ボーイなんで…」
「まぁまぁ、かっわいいー!若いよね、大学生?」
「学生じゃないですよ。若くもないですね」
「うそつき!若くないってなにこの肌ぁ!ぴちぴちで超うらやましいんだけどぉ!」
「ありがとうございます」

ほほ笑んで、顔に伸びてきた手をそっとつかんで戻す。
女の扱いは苦手ではない。ボンゴレ時代では、プライドばかり高く、物騒な女を何人も見てきたし、相手もした。…というか、アヴァッチ、貴様の女の後始末(いろいろな意味で)を俺はしてたんだ。お前のせいで女性恐怖症になったらどうしてくれる!(なっていないが)

「……お体、大事になさってくださいね」

見た限り、この女は疲れ果てている。
厚く綺麗に施された化粧も、疲れまでは隠せない。隙間なくひかれたアイライナーや、ばさばさの睫毛など、いったいぜんたいどうして女は上手く出来るのか不思議だ。

鉛筆みたいなのを目のふちに近付けるなんて怖くないか?
間違えて目の玉に突き刺してしまいそうでさ。だいたい、目元が不自然にきらきら輝いてるって、どんなだよ。
金粉が眼の中に入ったりしないのかね?俺は、しょっちゅう目をこするから、絶対に目元の化粧をするのは無理だな。感心するぜ、本当に。

この女は、うちの店のナンバースリーをひいきにしている女で、週に一度はきてそれなにお金を落としていく。

「まさみ。俺は?俺もぴちぴちでしょ」
「ええぇ、きーやんのどこがぁ?」

そう、まさみとかいう女。
職業は…まぁ、この派手できわどい格好でわかるが、ホステスであるという。…いや、ホステスもできるのか?もうちょう下層の風俗店で働いてそうな感じがするんだが。


普通に働けばいいのになぁと思う。(まぁ、それは俺にも言えることだが)

でも、水商売の金がよすぎて、今更派遣やパートで暮らしていくのも馬鹿らしいってか?だろうな。短時間で多額の収入がある仕事を経験してしまったら、それよりも低収入でハードな仕事はできないだろう。




……
…………・・・・


「お客様、困ります!!」
「うるせぇっ!まさみっ、まさみはどこだっ!!」

突然の乱入者。グラスが割れる音。
柄の悪い男たちがまさみの髪をつかんで床に引きずり下ろす。

「まさみ!!てめぇは、こんなところで使える金はびた一文ねぇだろうがっ!借金返してねぇの忘れたのかっ?もっと底に落としてもいいんだぞ!!売女!!」
「うざけんなっ!あたしの金を何に使ったって、あたしの勝手でしょ!!」
「このアマ!借金を耳をそろえて返せねぇ限り、てめぇには金はねぇんだよ!!」
「いやぁああ!!いたい!やめてよっ!!」

手足をばたつかせて逃れようとあがく為、みっともないことにスカートがめくれてパンツが丸見えだ。

悲痛な叫びを残しつつ、女はやくざ者と見られる男に床を引きずられ連れさされていった。


……
…………・・・・


…なんてことは、お目にかかったことはない。
あれはドラマの見過ぎだな。そんな話がいたるところに転がっているはずない。借金で苦しんでいる人間はたくさんいるだろうが、そこまで泥沼になる人間もそうそういないだろう。

「ロゼ入りまーす!」
「一気!一気!!」

…まぁ、まさみの、ここまですさんでいる肌の様子を見れば、よからぬ想像が膨らむというものだ。





■□■






先日は、急に店が休みになった。
新宿で大規模なテロがあったらしい。大勢の人が死んだようだ。
地下鉄サリン事件、9.11など、非現実的な大量虐殺が平和な日常の中で突然に具現する。人災のそれは、天災と同じで回避することは難しい。

そのテロのおかげで、店のある新宿一体が封鎖されているとかなんとかで、店が休みになった。予定がなくなってしまったので、俺はお金を宝石類に換金しにいった。

足首に付けている金の輪が、重い。
けれど、いつ飛ばされるか分からないので、ズボンに隠れる足首は格好の
手首やら首やら指やらに、ぎんぎらしたものは極力つけたくない。どこの成金、どこのやくざもんだと自嘲してしまう。






「よう!時間どうりだな、!」
「ああ、お前は早いな、飯田」

六本木にホストの出張してきた。
というのは冗談で、「俺んとこにも仕事を見に来れば?安くするぜ」と飯田に誘われたのだ。まぁ、一度くらい観に行ってもいいかなと思い了解した。ほかのホストクラブはどんな雰囲気なのかというのも、勉強としてしりたかった。
普段はだらしない親父のような飯田が、どんな顔して女を持ち上げているのかも、見てみたら面白そうだ。


「それにしても、わざわざ六本木で待ち合わせする必要なかったんじゃないか?一緒に出てくればいいじゃないか」
「だめだめ!待ち合わせから同伴の形をとらなきゃ、気分が盛り上がらないじゃん」
「正直、飯田は待ち合わせに遅れるタイプだと思っていたよ」
「まぁ、時と場合によるね」


部屋が隣どうしの俺たちが、わざわざ六本木で待ち合わせした理由。実にばかばかしい。


「んじゃ!同伴で行こうぜ♪」


見学の了承に対し、飯田は楽しそうに言った。
俺としては、はぁ?だ。


「…いやだ。なんでホストの同伴で入店しなきゃなんねーんだよ、羞恥プレイか、ざけんなよ。てめぇホモか?大事なモン、ちぎっぞ」
「………雄吾って、顔に似合わず口が悪いっすよね…」
「はぁ?俺のなんてかわいいもんだろ。何いってんの」


本気で思って首をかしげる。
俺のどこが口が悪いというのか。貴様、アヴァッチの言葉を聞け。


「でも、同伴は譲れない。マネージャーが同伴してたら、友好割引で二十パーオフにしてくれるっていってたし」
「本当か?……開店と同時に入店すれば、女はまだいないな。よし、開店と同じに行くぞ」
「…現金だな…」

と、こんな感じで今日の約束をしたのだ。

「じゃあ行こう、お前先歩けよ」
「はいはい。今日は俺が楽しませる日だからな」

苦笑する飯田に対し、鼻で笑って、六本木を案内させる。六本木なんて派手そうなところに来たことはないからな。
野郎二人でやることなんて特になく、暇つぶしで映画見て、飯食って…普通に遊びだな、これは…。
どうでもいい話をして、夕飯を軽く食べてから開店と同時に速攻でクラブに入る。


「うっわ。飯田。お前以外にナンバーフォー?」
「あはは!微妙っしょ!」

階下に降りて入った途端にあるランク写真で、飯田は4番目にかかっていた。

なんだか意外である。物おじのしない性格や、少し強引な性格、しかしながらだらしのない生活の様子…ああ、まぁ、女に好かれる感じなのかな?

「いらっしゃいませ、旦那様」

二コリと笑い飯田が俺の手を取ってエスコートする。

「…おい、どこのメイド喫茶だここは」
「ええっ!ちゃんってば、メイド喫茶なんて行ったことあんの?破廉恥―!」
「馬鹿か?」

はっ、と心底かわいそうなものを見るような眼で笑ってやる。
なんで俺があんな偽物のところに金払ってまで行かなきゃならねぇんだ。つーかあれ、
あまりにも本物と違いすぎるだろう。正直に、何がいいのかわからない。

あんなきゃぴきゃぴしたメイドなんて、ボンゴレの屋敷じゃ見たことねぇぞ?こう言っては何だが、ボンゴレにつかえていたメイドたちは一流だ。秘密厳守、速やかに命令を実行し、また、主人が過ごしやすいように率先して動く。

スカートの下には、いざという時主人を守れるように武器すら完備されている。一種の兵士を変わりがない。外見はしとやかなのに、恐ろしいことだ。
「本物」を長いこと見てきた俺の目にはまがい物すぎて見るに堪えない。



「「「「いらっしゃいませー!!」」」」



誰もお客がいないなかに、男二人で座るっていうのは…居心地が悪すぎる。酒を入れ、店内を見渡す。走力としてはブルーローズとかさほど変わりがないように見えるが、やはり、細部が違うのがよくわかる。
俺んところがエレガント・ビューティーならば、こちらは豪華・ビューティーだろう。


「じゃあ、俺そろそろ帰るわ」
「送る?」
「いいって。女じゃあるまいし」
「そっか、んじゃ、またね。あ、今度さ、上手い串焼き屋知ってるから、一緒に飲みに行こうぜ」
「お前、酒はほどほどにしろよ?肝臓わるくすんぞ」
「もう悪いかもしんねぇっ!!」

そりゃそうだろう、ホストは酒をぐびぐび飲む仕事だからな…肝臓悪くして早く死にそうだ。


クラブをでて、時間を確認するとまだ九時過ぎだった。
それほど遅くない。そんなにせっかくだから新しくできた六本木ヒルズでも回って、なんか食おう。酒とちょっとしたつまみじゃ、全然腹が膨れない。
普通のショッピングを楽しんで時間をつぶし、しゃれた定食屋で時間をかけてがっつりと食べる。やっぱり、みそ汁とごはんが一番美味いな…。食べ終わると、なんだかんだで十一時を過ぎていた。
さて、帰るかと、六本木ヒルズの吹き抜けのホールの二階を横切って駅を目指す。


≪左目≫に何かが映った。


「……?」


あれ?
おかしいな。俺、酔えない体質なんだけど。酒の成分は血液中のナノマシンがすぐに分解してしまうから。

左目を抑え、変なものが映ったほうを右目だけでみる。
うん、特になんにもない。俺の気のせいだったんだろうな。左目を抑えていた手をどけて、こんどは両眼で見る。
二重写しのように、見えるはずのないものが見えた。

冷静になれ。
いや、俺は冷静だ。ふぅ、と息を吐き、今度は普通に視力のある右目を抑える。


義眼の、視えないはずの 左 目 に映る、異形。


それは、ひどくおかしな光景だった。
【錬金】の世界において、最後の最後で銃弾により視力を失われ、それ以後暗闇に伏すしかなかった義眼の左目。【撫子】での技術でも、上手くいかなかった義眼の埋め込みによる視神経と脳神経の連結による視力の回復。
その左目に映像が映っている。


――――だが、それは 線 の世界だった。


色はない。
白黒の世界に、総てのあるものの輪郭だけが線状で浮き彫りに描かれる世界。


そこに、現れ出でたのは巨大な馬に騎乗する、同じく巨大な人間の形をするもの。
中世のような兜をまとい、縦横無尽に馬の手綱を取る姿は、神話上の大いなる騎士のようだ。

そんなのが、数体。突然に現れたのだ。
なんなんだよ、一体…。

なのに、周りに歩いている人間はだれ一人として騒がない。何もなく、無関心に通り過ぎていく。
ああ、誰も、誰も、この巨大なる騎士の姿を見えていないのだ。

二階部分にいる俺には、ちょうどよく、騎士の顔を部分が見えた。
目がついていることはわかる。その部分が赤く光っているから。
口はついているのか?鼻はついているのか?――わからない。ほかの場所は墨を塗ったように真っ黒でのっぺりとしている。
蛇に睨まれたカエルのように俺は歩みを止める。

一階部分のフロアの道行く男たちの上を、強いて言うなら、斧のような武器が通過する。

「がっ!」
「あっ!」

あっさりと、分断される。上半身。飛び出る血しぶきと臓物。

そこで、初めて何人かの人間が突然の異変に気がつく。
だが、あまりにも突然のことで、誰も声を出せずに、戸惑いばかりが先行しているようだ。あわてることもできず、この六本木という場所柄からか「撮影?」「なんでこんなとこで…人形?」と眉をひそめて、足早に去ろうとするばかりだ。

俺はただ、立ち尽くして、視ていることを選んだ。
見ていれば、巨大なる騎士はむやみやたらと人を殺しているわけではない。俺の階…二階にいる人間に対しては攻撃を仕掛けてこない。
彼らの足元にありん子のようにいる人間に対して、鎌をふるっている。と、いうことは、この場を動かず騒がず、隠れていれば生き残れる可能性が高いだろう。そろそろと、

「あれは…」

眼下に黒い、ぴったりとした全身タイツの男たちが走っていた。
……あれ、素面でみたら絶対変質者だよな…思わず、この非常事態だって言うのに彼らの股間に目がいっちまったぜ。

巨大な騎士にくらべると、ジオラマの兵士のように小さい。彼らは銃と思しき武器を片手に果敢に巨大な騎士に挑む。
その顔に浮かぶのは、歴戦の兵士と同じ。

大きな男が地をける。
普通よりも高くとび、何倍も違う敵に拳と足を繰り出す。

どこにそんなパワーがあるのか、
手に長刃を手にした長髪の男が(最初、後ろ姿から髪の長い女かと思ってしまったが、尻の形で男だとわかってしまった)、切りつける。


――……頭の中で、不完全な記憶を【検索】する。ここはどこだ?彼らはだれだ?

ああ、わかった。
わかってしまった。

彼らは…この世界は―――…




「【GANTZ】?」



ガンツチームが奮闘し、ひとりひとり確実に仕留めていく。

最後に、主人公が常人ならば持ち上げることの不可能そうな斧をたった一人で支え、振り切る。
哀れ、両手をあげて降参の意を示していたにも関わらず、強大な騎士は殺された。

面白いものだ。



(――…そう、敵は容赦なく、殺せ)


なんて、無情な。
消えていく男たちをみながら、俺はおのが乾いた唇をなめた。





■□■





GANTZ(ガンツ)

なんでか、俺の知識のなかではドイツ語だったという覚えがある。かつて、大学で学んでいたときに、第二ヶ国語の選択言語はドイツ語だったのだ。その時、電子辞書【GANTZ】を検索したのだ。意味は…なんだっけな、「完全」とかそのあたりの意味だったような…。

なんでドイツ語にしたのか…言えるのは、フランス語よりも中国語よりも、絶対ドイツ語のほうがカッコいいという簡単な理由だ。


【GANTZ】。
死んだ人間が黒い玉(黒い玉の呼び名が【GANTZ】)によって、生き返らされ、強化スーツと特殊な銃を与えられ、示されたターゲットを殺すという意味不明のゲームを繰り返される話。
時間内に皆殺し、作戦範囲外にでると頭パーん!などと、制約があったりする。
よくわからないあきらかに、異星人っぽいやつらを殺して点数を稼ぐ。百点で解放されたり、誰かを生き返らすことができる。
なぜ、こんなゲームをしているのか不明。終末系のなにかがあったような気がする。
そもそも、死んだ人間が生き帰ったりすること自体がありえない。
お前はドラゴンボールのすごいバージョンか!と突っ込んでみたい。

だからといって、そう頻繁に闘っているわけでもないから、普通に生活している分には全く問題がない世界だった。

【GANTZ】の世界、またも一瞬にして世界を超えたのかと思ったが、いちおう俺のアパートに戻ってみる。

なるほど、ここは【死帳】の世界であり、また、【完全】の世界でもあったのか。
やっと、ここはどこなのか知ることができて、俺はほっと肩の力を抜いた。

自分がどこにいるのか、わからないことほど、不安なことはない。





■□■





休日に池袋に行った。
久々に、サンシャインにあるプラネタリウムを観に行きたくなったのだ。新しいプログラムになるたびに見に来ている。
東京の空は空には星がよく見えない。でも、どんな世界にだって星がある。
正直、ナレーターの声がうるさいと感じるが、人工的に映し出された星のまたたきはそれでも純粋に綺麗だと感じだ。
見上げた空は数知れず。
思えばどこででも空ばかり見上げていた気がする。…まぁ、それだけの野宿が多い生活をしていたことが多いということだが。

ゆったりと座席に身をゆだね、ただ光る星を見つめて――…星の一つ一つを見るこの視点、神の座から見るものと似ているのかもしれないなぁ…。
うっとりと眼を細めて、ほほ笑む。

ブチン。
唐突に映像が途切れ、天井スクリーンが真っ白になった。
え?なんだ突然?機器の故障か?

俺を含めて、少ない客が首をかしげて姿勢を正す。

「お客様。現在、今現在、池袋の各所でテロと思わしくものが起こっています。係員の指示に従い。ただちに避難してください」


とにかく、帰るにしても池袋駅に向かわなくてはどうしようもないので、サンシャイン通り方面へ出る。


……おいおい。ちょっと待ってくれ。これはないだろ。


阿鼻叫喚だった。


「ぎゃああああ」
「助けて助けて助けて!」
「いやぁあああーやだ、やだ、お母さんな、お母さんたす」
「ああああ」
「あっ、あっ、あっ…」


叫ぶ。
虐殺に次々と。
立ち込める血霧。


「逃げたヤツから殺す!動いても殺す!」

叫ぶ。
異形が叫ぶ。
場が凍るとはこのことか。


「今日!!この場にいることを呪え!!」


―――はっ!
くそったれ!!なんだって、よりによって、この今日なんだ!死んじまえ!ばけもの!!
なんて確立!死ね!神なんていえぇんだよ!いてたまるか!!


化け物がいた。
そう、鬼が。
その身を包んでいたであろう、皮のジャケットは隆々とした筋肉によって破かれ、露出する肌は、とても肌色とはいえない。
吠える口からのぞくのは、肉を容易く噛みえぐるほどの牙。


多くの人間が殺されていた。
赤あかあああ赤朱あ紅赫。


胸一杯に空気を吸い込む。
じわりと肺に満たされたのは、コロシアイの匂いだった。


(――…満たされた?馬鹿な!何が満たされたというのだ!!)


逃げることもせずに、立ち尽くす。
その場にいた総ての人間が、涙を流し、鼻水をたらし、唇を震わせ、拳を握り…時には小便を漏らし、小鹿のように震え、崩れ落ちそうな足で地面を踏み締める。
異様な空気の中、バチリと鬼の目の前の空気が陽炎のようにゆがむのが【視】えた。
ああ、彼らが来るのだな、と思いで深い漫画の一場面を脳裏に思い描き、その場所を凝視する。

―― バチ リ

プラズマをまとい、何もない場所からだんだんと人が形容されていく。
もちろん、現れ出でたるはガンツチーム。
主人公を中心として、決意の表情で鬼を見上げる歴戦の戦士。


「信じろ………」


強い意志の力で両者ににらみ合う。


「俺たちなら、やれる!!!」


素晴らしい!
ピンチの時に、タイミング良く現れる、それはまさに英雄!(ヒーロー!!)


(ああ、よかった。最後に勝つのはガンツチームだ)


危険にさらされ、かなわない敵に惑い、けれども決してあきらめず。
犠牲を払い、捨て身で挑み、幾度も、負けを感じる場面で

信じて、信じて、信じて?誰を信じているのだろう?自分?主人公?


神?

(違う、違う、そんなものはいない!どこにもいるもんか!妄想だ妄想だ!)


正直、鳥肌がたった。
体の総ての毛が、威嚇するように逆立つ。


この感情をどう形つけるのか。
なにも言葉もなく、彼らの勝利に震える。




彼らは、ただの人だ。
闘う力を与えられたが、ただの、ヒトだ。

人々は熱狂する。


「「「UOOOOOOOOOOOO!!!!」」」


歓喜の叫び。
勝利の叫び。


なんたる、Shnvhronicity!!!!(全てと一体となる、この共時!!!)


俺も鳥肌と興奮が冷めやらぬ中、好奇心でガンツチームに近づいた。
主人公たちの顔を認めた瞬間、興奮が消えて、軽く血の気が軽く引いた。


「…うっわ」


俺の変な感嘆詩に近くの人が怪訝な顔をしてきたが、そんなの知ったことではない。
あわてて、その場からそっと離れた。
はじめはゆっくりと歩いていたが、どんどんと早足に、ついにはかけ足になった。

「うっわ、うっわ、全然気がつかなかったわ…」

滑り込むように電車に乗って、出入り口付近に立ちながらガラスに映った自分に自問自答する。
あほだな、俺。どっかで見たことあると思ったんだよ。


なんと!!ヒーロー主人公は、俺のアパートのお隣さんだった。(飯田さんと反対側の、各部屋にいる、高校生だった!ああ、滅多に顔を合わせないし、表札さえ掛かっていないから、全く気が付いていなかった!なんてことだ!!)

というか、こんな偶然性はいらない。どうして、俺の隣に主人公が住んでいるんだ。!!
どうして、俺はこのアパートを選んだんだろう。

駅に近いから?(もっと近いアパートはたくさんある)
家賃が安いから?(もっと高くても、余裕で暮らせる)
コンビニ近くにある?(ねぇし!全然便利じゃねぇし!)
静かな住宅街だから?(ああ、それは言えてる)

でも、決定的に、ここにしようとした押しの一手が足りない。

ああ、本当になんで、俺はこのアパートを選んだんだ?(無意識に?直感的に?)

ありえない偶然だ。
なにか、視えないものに操作されているようで怖い。


怖い。
怖い。


ぐるぐると回る頭で、この後の展開を思いだす。百点だ。百点を超えて、ヒーローくんは記憶をなくす。なのに、敵が ア パ ー ト に攻めてくる。
おいおい、待ってくれよ、マジで。そのアパートってどこだよ?
思いっきり、俺の住んでる処イコール主人公の住んでる処。…おれ、死ぬじゃん?

駄目だ駄目だ駄目だ。このままじゃ。

最寄駅を降りて、その足で目的地に向かう。


「大家さん、大家さん!いませんか!!」
「はいはい!ちょっと待ってください!どちらさま…ああ、えっと、さんでしたっけ?どうしました?…もしかして、今月の家賃が振り込めないとか…?」
「いえ、違います。家賃の今月分は耳をそろえて払います。で、ですね、俺、都合があって、今週いっぱいで、引っ越そうと思うんです。だから、その手続きをと思いまして」
「ええっ!?なんでそんな急に…?」
「まぁ、実家のほうでいろいろあって、俺、戻らなきゃいけにんですよ。すいません」
「そうなの?」
「すいません、急で」
「仕方ないわよねぇ。おうちの都合じゃ…さん、毎月しっかり家賃払ってくれるから、ありがたかったのにねぇ…」


冗談じゃない。ここに残ってたら、俺が殺される。
離れた遠くの町に行こう。

「っと、すまん」

階段で飯田とぶつかった。


「ああ、飯田さん。お世話になりました、突然ですが、俺引っ越します。ここ、でるんで、飯田さんも早く出て行ったほうがいいですよ」
「え。何いってんの、お前?」

心底ワケが分からないという顔をしている飯田に、俺は出来るだけ真剣な顔をして忠告しておいた。

すたこらさっさと、俺は慣れ親しんだアパートからでた。一秒だってこんなアパートには住んでいられない。
敵前逃亡?人外どもの戦いを近くでみたいと思うほど、俺は人生をまだまだ捨ててない。



その後はどうなったか?テレビで見てたら、なんかいろいろ凄いことが起こっていたけれど、俺の周りは至って平和。
なんとかトロフィってなに?という感じでふらふらと平和に過ごしたのだった。





モクジ
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