光速ループ

06 悪魔の走り





あれは誰だ?





「なにあの子…」
「随分ちいせぇヤツだなぁ…」

泥門側の選手がぼそぼそと言う声が聞こえた。それを聞き流しながら、そういえば、あの日もこんな雲ひとつ無い空の日だったな…。ぼんやりとどこかしびれたような頭で、生きているヒル魔たちを前に思った。

降り注いだ雨空のあとは、雲ひとつ無い青空が広がっていた。周りの胸が悪くなるような肉の焼けた匂い、燻る焼け跡の匂いを鼻腔をついた。それからすぐに意識を失ったが、うっすらと見た周りに黒焦げの丸くなったものがいくつかあったのを覚えていた。

…あの中に、皆いたんだよね…。

苦しかっただろうか。
彼らが死んだとき。

死ねて、良かったね。
良かったね。僕みたいに、生きて絶望しなくて…。




じろりと、クォーターバックであるヒル魔がセナを値踏みするように見据えてきた。セナは淡々とヒル魔の視線を受け入れた。数ヶ月の間だったが、毎日のように見ていた顔だ。今更凄まれても…少し怖いが、それほどではない。

「はっ!随分とチビを試合に出してんじゃねーかよ?いつから王城は小学校になったんだ?」

ヒル魔が挑発するように声を大にしてセナに話しかけた。セナは黙って微動だにせずに前方だけを見つめている。

「なんだと!小早川を馬鹿にするなよ、ヒル魔よ!」

大田原がムキー!と怒ってヒル魔に言い返そうとしたが、「大田原さん、気にしないでください」と、セナは大田原のユニフォームを引っ張った。

「けどな、コイツがお前の悪口を言いやがったんだぞ!」
「まぁまぁ、落ち着いてください。僕に売られた挑発です。…どうも、"初めまして"泥門のキャプテンさん」

熱くなる大田原に、しかたなく自分からヒル魔の前に進み出たセナに、「ほう」とヒル魔は少しだけ感心したよう顎をあげた。外見の金髪もさることながら、ヒル魔の名は悪い意味でアメフト選手の中には知られている。手段は選ばない。クソなアメフト部だが、ヒル魔が何を仕掛けてくるか分からない。銃を日常的に振り回す姿は恐怖とともに他校にも語られている。(もちろん、脅迫手帳の餌食となった他校の生徒によってその恐怖は延々と伝わっていくのだ)彼に観察されて、怯まぬものはそういない。ヒル魔はちびっ子いセナの印象を中々骨の在るヤツ、と見た。

「はーん…。お前が噂のアイシールド21か」

含みの在る言い方でヒル魔は言う。

「はい。アイシールド21です。けれど、ニセモノのアイシールド21…」
「…お前…」

微笑みながら言ったセナの台詞に、ヒル魔が険しい顔になった。

「さすが、ヒル魔さん。僕の言っている意味、分かるんですね?」

どこか、悲しそうな瞳でセナは言った。ふと、ヒル魔の脳裏にこの少年を見たことあるような気がした。

「お前…どこかで会ったことなかったか?」
「さぁ?恋が浜戦じゃないですか?」
「…いや。違う、それよりも前だ…ずっと前…」
「僕は貴方を知りません。知りたくもありません。貴方は違う人ですから」

記憶を探るような目をしたヒル魔にセナはきっぱりと拒絶をした。

「?どういう意味だ?」
「そのままの意味ですよ。今日は宜しくお願いします。勝つのは王城です」


…もう話すことは無い。


「おい!話はまだ…」

セナはヒル魔の引き止める声を聞きながらも、ポジションに付いた。


+++++++++++++++++++


「タッチダウーン!!!!」

会場が一瞬にして静まり返った。そして、次の瞬間爆発的な声援が会場を揺るがした。

「なんだ…今…の?」

泥門の選手は、固まったまま動けなかった。

何も出来なかった。
すり抜けていく幻。

気が付いたら、抜かれていた。

「…あの糞チビ、なんつー走りをしやがるんだ…」
「どうだ、見たかヒル魔」

ヒル魔でさえ、背中に冷たいものが伝った。
その背後から、進が声をかけた。

「進…」
「これが、小早川。王城の新勢力だ。凄いだろう。オレも抜かれた。…アレは、白い閃光<ホワイト・ライティング>だ」

誇らしげに、それでいて敵を見るように進はセナに見ながら言った。ヒル魔は「進が抜かれたっていう情報はガセじゃなかったのか…」と思いながらも、先ほどの走りを思い出して背中が震えた。

あれは…あれは、白き閃光なんてもんじゃない。


「―…ちげぇよ、進。あれは…悪夢の幽霊<ナイトメア・ゴースト>だ」


あの一瞬、アイシールドの下を、一瞬でもお前は見たか?



オレは、<絶望>と言う名の幽霊を見た。


07 さらば、友(デビルバッツ)よ


勝者は、ほとんどの観戦者の想像に外れることなく、強豪王城の勝利であった。
泥門は一点たりとも王城に一矢を報いることが出来なかった。当然な勝利でも、客席の王城の応援者たちはみな、大喜びで歓声を上げていた。王城の選手らはみな淡々として試合後の後片付けを開始した。

「これって、もう捨てていいの?」
「いいよ、中身空だろ?」
「セナくん!忘れてる、タオル!」

高見がセナのタオルをポイッとセナに向って投げた。

「え、ありがとうございます」
「やっぱり、他校との初めての試合だから緊張したの?」

高見がにこにこと近づいていった。最後に綺麗にパスが透ったので高見は機嫌が良かった。途中ですべって転んだ桜庭が足首を捻って、そのまま大事をとって桜庭のマネージャーに病院まで強制連行されてしまったのは高見としては心残りだったが。本人(桜庭)はたいしたことないと言っていたが。退場する桜庭の表情はひどく思いつめているようで、少し高見は気になった。進は一人でテキパキとカバンに靴などを詰めている。

セナは首を振った。

初めての試合。
厳密な意味では、セナにとっては初めての他校との試合ではないが、セナは泥門と戦ったことはなかった。そういう意味でなら、セナは初めての試合であった。

「勝てて、良かったです」
「うん。まぁね。勝てない相手じゃなかったしね…泥門には悪いけど。全然敵じゃない」
「…ええ」

心は痛まなかった。泥門が取るに足らない相手だと言外に高見に言われても、確かにそのとおりだったと思う。自分ひとりが抜けた穴はこれからどんどん広がるだろう。
一方、泥門の選手席は寒々しい空気が漂っていた。王城に勝てる可能性はほとんどないことを分かってはいたが、それでも試合に負けるというのはどこかむなしさを感じさせる。各々が帰り支度を始めているのだが、ただ一人蛭魔だけはじっと睨むようにして王城のベンチを見据えていた。

「ちょっと、ヒル魔ー?帰るよ?」
「うっせぇ、糞デブ。先に学校に行ってろ!」
「えー!でも、この後一緒に練習するでしょ!」

栗田に邪険に言うと、ヒル魔はバスに向って歩き出した王城の背中を追いかけようとした。しかし、ヒル魔の横を走り抜けて、その王城の選手ら呼びかけた少女が居た。

「セナッ……!!」

一瞬、大柄な選手の間でセナの背中が反応した。

「あれ、姉崎さんじゃない…?」
「ああ、風紀委員の…糞女か」
「セナ…!ねぇ、セナ!呼んでるの、答えて!」

セナは目を瞑ってまもりに背を向けたまま必死の呼びかけに答えようとしない。

「セナっ!」

セナは早足にバスへと乗り込んだ。流石にバスの中までは彼女は追いかけてこれないだろう。

どうして、彼女がここにいるのだろうか。
今日、泥門と王城が試合だということをどこかから聞いて駆けつけてきたのだろうか。

「小早川。いいのか?」
「いいんです。…すいません、なんか、五月蝿くて…」
「いや、別に五月蝿くはないが…」

発車したバスの窓の向こうには、ぽつんと立ち尽くしているまもりの姿が見えた。

「彼女は、家が近かったんです。それで、小学校が一緒で…それだけです」
「……そうか…」

進は相槌を打ったが、なぜ、無視したのかという理由にはなっていない。さらに深く聞こうかとした進だったが、かたくなに目を瞑って深く座席に埋もれるようにして、全身でこれ以上は聞かないでくれと言っているようなセナに口を噤んだ。




「セナ…」

遠ざかっていく王城のバスを呆然と見送り、まもりは立ち尽くす。
その背中に栗田は控えめに声をかけた。

「あの、姉崎さん?」
「えっと、栗田くん…?なんでここに…って、そうよね。栗田くん、アメフト部だったわよね…」
「う、うん。そうなんだけど…」
「おい、糞女。セナってのはあれか、あの21番の小早川セナとかいうやつのことか?」

ヒル魔が栗田を押しのけてまもりに聞いた。まもりは一瞬目を開いたが、目に見えて弱弱しく頷いた。

「そうよ…」

その様子は毅然とした印象を周りに与えるまもりからは、想像できないように悲しそうに見えた。唇をかんで下を向いたまもりは小さく震えていたが、バッと顔を上げてヒル魔と栗田に詰め寄った。

「セナは、あんなじゃなかった!全然運動なんか駄目で、いつも人に言いように使われちゃうような子だったのに…!!急に…急に、…!!中二になってから、急に変わったの!おじさんもおばさんも、消極的だったのが積極的になって喜んでたけど…セナは、あんな子じゃなかった!私の知ってるセナとは別人なのよ!」

興奮したように顔を赤くしてまもりはまくし立てる。栗田はたじろいたが、ヒル魔は鼻で笑った。

「そんなの、反抗期とか、二次成長とかそういうんじゃねーのか?」

キッと眦を吊り上げてまもりはヒル魔を睨みつける。その迫力は気の弱い軟派野郎が見たら一目散に逃げ出すような眼光だ。

「あなたたちにセナの何が分かるの!?そんなんじゃないわ。あれはセナじゃない。セナじゃないの!」

まもりは頭を振る。

あれがセナ?そんなのは認めない。
ええ、私はいつかセナが一人でなにかに立ち止まってくれる強さを持ってくれればいいと思っていた。セナは私の名前を呼ばなくなった。他人行儀に「姉崎さん」。それが年頃の男の子の気恥ずかしさからくるものだったら、まだ私にも許せたかもしれない。
けれど、あんな風に笑顔が消えて、まるで他人を見る目で私を見て言うのは耐えられない。

ねぇ、私のことを見て。


「……ヒル魔くん。私の言葉が信じられない?いいわよ、じゃあ貴方お得意の調査で、セナのことを調べて見なさいよ。…そしたら、きっと私の言葉が本当だって分かるから…」


胸の奥が熱くなった。
こみ上げてくる熱いものに耐えられなくて、頬を濡らす雫。
まもりはそれを乱暴に振り払うと、もうこの場に用はないと背を向けて走り去っていった。



「姉崎さん、泣いてたね…」


栗田が、ぽつりと言った。

08 悪夢に魘された夜



「セナ、って、寝てんのか、セナーー?」

猫山圭介はベットに転がっているセナの身体を揺すった。
猫山は一年生ながら王城のランニングバックの一人だ。猫山はすやすやと眠っているセナのあどけない寝顔を見てはぁーとため息をつく。こういう風に眠っている姿だけを見れば、どうみてもあんな凶悪な走りをする人間には見えない。

そう、凶悪な走りだ。
この小さな身体(猫山もアメフト選手としては小柄な身体だが)のどこに、あの爆発的な走力を秘めているのだろうか。走り出す瞬間のセナの走りは全てを掛けているように見える。
前を見据えて敵を交わし、獣のごとく人の間をすり抜けていく。それは野生に放たれた風のようだ。するりと抜ける、消える、…捉えることの出来ない、風。セナは走ることに手を抜かない。王城の過酷な練習にも文句のひとつも言わずに付いてくる。
多くの脱落者が出る王城の練習に入ったものが「付いていけない」と言いながら去っていくのを猫山は中学のころからずっと見てきている。

こうして寝ている姿だけなら、絶対に小動物だ。猫山自身もお前小動物っぽいよな、つーか、苗字のまんま、どっか猫に似てるよな。とよく言われるが、セナの眠っている可愛らしさはこう、ほっぺたをつんつんしたくなる。

「起きてるときは、鋭いんだけどなぁ…」

いつでもボンヤリと遠くを眺めているイメージがあるセナは、アメフトになると冷たく光る弾丸みたいなヤツになる。
初めてこの部屋で外部受験のヤツと二人部屋になったと知ったとき、ちょっと嫌だった。なんだって中学からの持ち上がり組みじゃないヤツと同じ部屋になったんだろうって。他の連中は結構、顔見知りのヤツと同室になっている場合が多かった。
この部屋に入って、ぼうっと窓から外の景色を眺めているセナを見たとき、一瞬生気が感じられなくてビビッた。オレの気配に気が付いたのか振り向いたセナはちょっとオレが居ることに驚いたように軽く目を見張って。

「よろしく。僕は小早川瀬名です」と、柔らかく笑って言った。
はっきり言って、セナのまともな笑みを見たのはアレが最初で最後のような気がする。他のところでセナが無表情の中で時折見せる笑みは、いつもどこか自嘲が混じり、悲しさを感じる。オレ以外のヤツラはきっとセナの笑みを見たことがないというやつのほうが多い。大部分の生徒からはとっつき難いヤツだと思われてて、クラスでは微妙に孤立している。
どうやら進先輩には懐いているようなので、オレとしては一人でもセナが心を許せる人がいるのはいいことだと思った。

猫山がゆっくりとセナの髪の毛を撫でていると、ビクンとセナの身体が震えた。

「セナ?」

猫山が起きたのかとセナに呼びかけた。突然、セナの身体が痙攣した。ビクビクと背中を逸らして、四肢を硬直してる。

「うぁあああああーーーーー!!」

そして、目を瞑ったままのセナの口から吐き出されたのは絶叫だった。恐怖に満ちた叫びが、室内を突き抜ける!

「みんな死ぬ、落ちる、始まってない!終わる、終わる…落ちる落ちる…墜落する…嫌だ嫌だいやだ…!!!」
「セナ、セナ、落ち着け、セナ!!」

身体をブルブルと震わせ、セナは恐怖に歪んだ表情でもがく。嫌だといいながら、何かを掴もうと手を天井へ向って突き上げ大きく開く。猫山はどうすればいいか分からずにセナの身体を抱きしめて揺すった。

「セナ!落ち着け、大丈夫だから!大丈夫だ!」

猫山は抱きしめたセナの身体の細さに同じ一年として、どうかと思いながらセナの耳元に大声で呼びかけた。
どうして、こんなにも絶叫しているのにセナの目は瞑られたままで目覚めないのだろう?自分の寝言に目が覚めるとよく言うが、これほどまでの叫び声、飛び起きてもいいはずだ。なのに、セナは自分から目覚めようとしない。悪夢だろう。
どんな夢を見てここまで恐怖をもてるのか。猫山はただ、セナの身体を宥めながら抱きしめ起きろと耳元で怒鳴ることしか出来なかった。

「あ―…あ…あ、あ」

猫山の言葉が届いたのか、徐々にセナの痙攣が治まってきた。ゆっくりと正常な呼吸に戻っていくセナの身体に猫山はほっとして身体を離した。変わらず表情は苦しそうだが先ほどよりもだいぶマシだ。そっとベットに身体を横たわらせて、

「ひ…る…」

掠れた声で最後に呟いた言葉。

「セナ…?ひ、る、『昼』?」

猫山は首をかしげて考え込んだが、いや、今はそんなことを考えている場合じゃないと急いで先輩を呼びに部屋から飛び出した。


+++++++++++++++


ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
みんなみんなごめんなさい。
ぼくだけがいきのこってごめんなさい。

僕は夢を見る。


+++++++++++++++



「小早川!来い!!」

放課後、いつものとおり部活の練習に向かったセナは、庄司に呼ばれた。なんだろうと庄司へと近寄ったセナに、庄司は眉間に皺を寄せて言った。

「小早川。お前はなにか持病みたいなものがもっているのか?」
「え?」

セナは目を丸くさせた。
セナは弱そうな細っこい身体をしているが、存外身体は丈夫で、苛められて来た小学校のときでも風邪で年に一回休むかどうかというぐらいの健康体だった。仮病を使いたいときもあったのだが、仮病すら使えない、そんな子供だったのだ。セナの問い返しに、ますます軍司は眉間に力をこめる。その表情は怒っているようで、セナは慌てて言葉を続けた。

「いえ。僕は持病とか、持ってません」
「そうなのか?…昨日の夜、酷い発作を起こしたと聞いたのだが…」
「発作…ですか?僕が?」

心当たりがない、というセナに、このままじゃ埒があかんと庄司は練習をしている部員の方へ大声をだした。

「猫山!お前もこちへ来い!!」
「はい!」

ぴょんと部員の中から猫山が飛び出してきた。

「…猫山。昨日小早川は発作みたいなのを起こしたんだったな?」
「あ、はい…」

ちらっと猫山はセナを見てから庄司にはっきりと頷いた。

「すごかったです。痙攣とかして…すごい悲鳴?っていうか、叫び声を上げてたし…オレが何度起こそうと揺すっても全然起きなくて…」
「ホントに?僕が?」
「もちろんだって!マジで。セナ、大丈夫かよ、今日の朝話そうと思ったのにお前さっさと朝練にひとりでいっちゃたしさ」
「う、ごめん…」
「しかし、ただ事のようには見えん様子だったんだろう?だったら、小早川、一度病院に診てもらったほうがいいんじゃないか?」

セナがビクっとしたように反応した。そして、断固とした様子で首を振った。

「病院にはいきません」
「なぜだ?」

セナは躊躇うように目を動かして、それから目を伏せた。

「…もし、僕が魘されていたのならその原因は分かってますから、病院にいく必要はないんです」
「原因?原因が分かっているなら、それはなんだ?」

セナは口角を吊り上げた。
笑いなのか、悲しみなのか。


「…悪夢を、見ているだけですよ」


こんなにも、現実に生きているのに。



++++++++++++++


追われる。
立ち向かってくる。


捕まえたいのに捕まえられない。
止めたいのに止められない。

触ることさえ出来ない…それは、まるで幽霊のように…。


「ッ……ハッ!!」


ヒル魔は瞳を開いた。
ぎょろりと瞳を動かして四方を確認する。
薄暗い部屋の中。ここはヒル魔の城(部屋)だった。

情け程度に身体にかかっていた布団を跳ね除け、ヒル魔は前髪を掻き揚げた。
なんてこった。
まさか、夢を見るほどに熟睡していたとは。

…そして、夢によって起こされるとは…。



ヒル魔は先日の戦いを思い出す。

王城の新しい選手…王城に入るまで名前さえ知られていない選手。あれほどの足があるのなら中学時代にも体育会系関係者には名は知れ渡っていたはずだ。それもなく、突然に彗星のごとく現われた…

「いや、あれは彗星でもない…幽霊みたいに現われやがった」


あれはどこか、燃えつきえる星のようだ。


「ナイトメア・ゴースト」

09 神へ挑む愚者たち


春季東京大会
王城ホワイトナイツ対西部ガンマンズの試合は23対19で決着が付き、とうとう神龍寺との試合となった。多くのアメフト関係者が集まる中、王城はちゃくちゃくと試合のために軽いウォーミングアップを始めた。

「どういうことだ…?」

配られた登録選手の用紙を見て、雲水はいささか顔色を変えた。王城のベンチ入りの登録選手の中には先日泥門対王城で見た、足の速い21番の選手の名前が無かったのだ。




それは、三角パンクスとの試合前まで遡る。

「ランニングバックは、猫山、眉村…以上だ」

明日の対神龍寺の対戦のスタメンの発表にはセナの名前は呼ばれなかった。セナは特に驚くこともなく淡々とした表情をしていたが、回りの部員達は驚いたようにみなセナを振り返った。猫山は眉村と顔を見合わせて、こちらもどうしてセナがスタメンから外されているのかと疑問に思った。

「どういうことですか、監督?小早川は…」

そんな中、みなの気持ちを代弁するように進がおもむろに問いかけた。
庄司は皆が納得がいかないような顔をしてセナと庄司を代わる代わる見ているのを見て、腕組みをした。庄司も、出来ることならセナを試合に出したかった。セナの出た公式な試合は泥門ひとつのみ。今まで多くの試合に出たことで相手方に多少なりともデータが取られているものたちとは違って、未知なる力を持っている。負けるために試合に挑むつもりはない。神へと勝つために、一人でも多くの実力のある選手を試合へと送り出したいと思っている。

「小早川。自分で説明しろ」
「はい」

憮然とした表情で、投げやりに庄司はセナに言った。セナは頷き、部員を見回して話し始めた。

「…僕が、進さんに一騎打ちを挑んだとき、最初に言ったことを覚えてますか?」

いいや、と皆が一様に首を振った。進が抜かれたという出来事にその前の過程などは衝撃に彼方に吹っ飛んでしまっている。

「僕最初に言ったんです。『進さんを抜けたら、僕の我ままを三つだけ、叶えてください』って。だから僕は監督にお願いしました。ひとつ、泥門との試合に出させてくれること。ふたつ、秋大会まで僕は他の試合に出ないこと…」
「自分から試合に出たくないと言ったのか!?」
「はい」
「なぜだ?…オレには試合に出たがらない意味が分からん」
「…この試合に勝っても、僕には意味がないから…」
「意味がないだと!?勝つことに意味がないというのか!」
「違います。勝たなきゃ意味がありません。でも、僕にとってはこの秋大会じゃないと…目的が果たせない。だから出ない」

悲しそうにセナは首を振った。セナにとってはこの神龍寺との試合、勝っても負けても意味がないのだ。ソレが分かっているだけに、出たいとも思わない。出来ればじっくりと相手の戦い方を観戦したい。そして、次の試合に向けて対策を考えたい。

「すいません。僕の我侭で…でも、僕はもっと先が必要なんです」

勝つために。今、出来ることを。
三角パンクスとの試合は、進の鬱憤を晴らすかのような怒涛のホワイト・スピアによって、7ー3と王城の勝利であった。



+++++++++++


江ノ島。
相模湾に浮かぶ決勝の小島。

神龍寺と王城の試合には当然の如く、都内のアメフト学生たちが多く姿が見られた。制服で着ているところが多く、制服で固まっている集団を見れば大体アメフト部だろうな〜という体格をしているものが多い。セナは高いところから戦況を見たいと考えたので、かつての泥門主務時代のようにデジタルビデオを片手に客席の出来るだけ上の方に陣取っていた。
セナは王城の制服を着用していたが、どこをどうみてもアメフト選手には見えないセナは特に注目されることもなく客席に紛れ込んでいた。誰も、彼が王城の選手だということに気づいていない。神龍寺伝統の精神統一からビリビリと伝わってくる裂帛の気合に相変わらずすごいなぁと思いながら、セナは録画していく。

やがて試合が始まり、圧倒的な強さを見せる神龍寺の選手達。阿含は前と同じく試合に来ていないことにセナはすぐに気が付いた。

―…エースの不在。それでも、神龍寺は強い。

27対0
その圧倒的な差に、王は神の偉大さを思い知る。
勝てるのか、とセナは思う。この現在の王城に一点すら与える隙を見せない神龍寺に。

けれど、勝たなければならないのだ。
真剣に見入るセナの鼻腔を甘い香りが掠めた。カメラとフィールドから目を離して、セナはその香りの元を辿った。
こんなにも濃厚に鼻に付く匂い。忘れられない匂い…。

「…あ、含さ」

ひらりと胴衣の裾を靡かせて観客席をふらふらと縫うように歩き、高いところから試合の様子を見下ろす男。

金剛阿含。
セナは匂いの元を阿含が無造作に掴んでいるかばんの中からはみ出した衣服に見つけた。
べっとりと付いた赤い血。

眩暈がした。


+++++++++++++


一休の背面走りに桜庭は度肝を抜かれた。
どうして、後ろ向きに走っているくせにこんなに早いんだっ!?

「は、早いっ!ってうわぁ!!」

桜庭はそのまま後ろ走りの一休に体当たりされライン脇へと吹っ飛ばされた。そこには運悪く試合運営のテントがあり、桜庭そこへと突っ込んだ。

「…つっぁ…!!」

ビリリと背中に痛みが走った。

「きゃああー!桜庭君!!」
「なにすんのよー!この背面ゴキブリー!!」

試合会場の一角を陣取っていた明らかにアメフトの試合を全く理解していなさそうな女子たちが口々に叫び、立ち上がった。

「な!背面ゴキブリとはなんだ!鬼ざけんなーーーー!!」

一休がその女子達に向って毛を逆立ててどなった。痛みに呻く桜庭に医療班が素早く診察する。

「大丈夫か?」
「あ、はい。平気です。身体を打っただけですから」

桜庭は防具に付いた埃を叩きながら立ち上がった。

「桜庭!大丈夫かー!?」
「大丈夫だよ、寅吉…。すごいや、やっぱり…」

病院で押し込められた病室で知り合った少年が慌てて車椅子をかっ飛ばして言ってくるのを、片手を挙げて答えながら、桜庭は広いフィールドを見つめた。



+++++++++++++


「あぁ?」

セナの声に阿含が誰だよ、テメェというように振り向いた。セナは一瞬、やはり阿含に恐怖を覚える。それは草食動物が肉食動物を前にした本能のようなものに似ている。いくら確固たる信念を持って、どんな相手にも負けてなるものかと思っていても、培ってきた根本的なものはそう簡単に変われない。
一瞬昔の自分が出そうになったが、セナはそれを押し留めた。

「なに?なんかオレに用でもあんの、チビ?」

サングラスをずらして、からかうような口調で聞いてくるものの、阿含の瞳は笑っていない。この人が心の底から楽しくて笑うことなんかあるんだろうか、とセナは思った。

「タッチダウーン!!」

ワァと歓声が上がって、神龍寺にまた一点が追加された。ちらっと、阿含はセナから視線を外すとフィールドを見下ろした。

「つーか、俺が来ねぇでも楽勝じゃん。ッチ。わざわざ来るまでも無かったな」

舌打ちすると、阿含はあくびをした。そして、まだ動かずに阿含を凝視しているセナに気が付き、不快気に眉を潜めた。

「王城は、負けません」
「は?見てみろよ、ぼろ負けじゃん」
「…この試合では王城は負けます。けど…クリスマスボウルに行くのは僕達です」

阿含はきっぱりと自分を目の前にして、物怖じせずに見上げてくる小柄な少年に興味を覚えた。しかしそれは、猫がねずみを甚振ってやろうという残酷な興味にすぐなかったが。

「なに?お前王城の生徒なの?ウゼーな…」

ニヤニヤと笑って一歩近づけば、大抵の人間は青ざめて一歩引く。lしかし、この少年は違った。確かにどこか無表情だった顔を少しだけ青ざめさせながらも、強く阿含を見返してくる。
…その、瞳は日本人なら誰もが持ちえる黒い瞳だ。けれど、どこか、一度全てを諦めたように深い黒だった…阿含の世界の全てが詰まらなくて仕方がなく、退屈に絶望している瞳に似ているようで…異なる、瞳。

―…ドクリ、と阿含の中の血が跳ねる。
コイツは誰かに似ている。誰だ?身近にこれと似たような瞳を時たま見かけることがある。

(そうか、)

これは、双子の兄の瞳に似ている。けして越えられない双子の弟を時たま絶えられなくなるように振り返り、己を省みる兄の瞳に。どんなに努力しても埋まらない隙間。それが才能の差。生まれ持って与えられたもの。

神さまは俺を愛してる。
そんな愛情はクソくらえだが、努力もせずに身につけている才能は俺を楽させてくれるのはイイ。

天才?大いに結構。せいぜい俺を愛せばいい、神様ってヤツは。ただし、俺は見返りをやる気はねーけどな。
阿含はこの少年を突き飛ばしてやろうと残酷な思い付きをした。思った瞬間、阿含はセナの背後に回り込んで手で背中を押し出す…はずだった。突き出したては、空を切った。少年の姿は無かった。

「…危ないですよ。下、階段です」

呆然とする阿含の後ろから少年の声がかかった。


―…かわされた?
一瞬にして後ろに回りこまれたのか。俺が?

ゆっくりと阿含は振り向いた。そこには少しも慌てた様子のない少年がいた。

「…お前、名前は?」
「セナ。小早川セナ。王城の21番です」
「お前が…?」

王城の21番。先日の泥門戦に出ていた、スピードに目を見張るものがあった選手だ。

「そうか、お前が…」

阿含は納得した。

「なんで、その21番がこんな客席にいんだ?」
「その言葉はそっくりそのままお返しします。…でも、阿含さんが居ても居なくても、王城は負けてますけどね…」
「テメェ一人が加わったら、戦況は変わるとでも?」
「いいえ、僕が加わっても今の戦況は変わりません。…けど、秋大会までには王城はもっと強くなる」
「んで、俺に勝つと?」
「…ええ、勝ちます。勝つだけ。僕はそれだけのために生きてる」

暗い、けれど激しい炎がセナの瞳に燃え上がったのを阿含は見た。


+++++++++++++++



「最強を軽々しく名乗られちゃ困る…」
「最強?オレは最強ではない。最強を望むものだ」

意気込む一休に、あっさりと進は最強を否定し、首を振る。

「あんたは最強なんでしょ!?みんなそう言ってます、あんたは誰も抜けないってね!!」
「ふ。そんなことはない…オレは抜かれているさ」
「誰に?」
「…あそこに立つ男にだ」

進は目をすがめ、観客席にいつセナを見上げた。

「…阿含先輩…?」

吊られるように観客席を見上げた一休は、阿含の姿と、それを正面を向き合って対峙する小柄な身体を見つけた。


10 あの日誓った約束




そして、試合は王城の大敗だった。

神に王は負けた。
黄金世代が抜けた穴、しかし、新生メンバーでも補えるつもりだった。
もとより、負ける気持ちで勝負を挑んだわけではない。

勝利の二文字のだけを求めていた。

しかし、遥か上から見下ろす神の威光に下されて、地べたに這い蹲るしか出来なかった王…。
なんと情けない。

今までの鍛錬の成果は、遠く神へと届かなかった。


「負けましたね」
「…ああ」

進は頷く。

「じゃあ、次は勝ちましょう。次こそは…次こそが、本当の戦いの舞台です」
「…小早川」


やっと、進は背後のセナを振り向いた。


「勝ちましょう。なぎ倒しましょう。そして…あの場所へ」


進ははるか遠くを夢見るように見るセナを見つめた。
どこを見ているのかと、進はセナに対していつも思う。
見ているのはどこだろう。きっと、ここではないどこか。はるか遠く届かない場所。








『おーし!全員でクリスマスボールに行くぞ!!』
『『『『『『『『『『 おう!!! 』』』』』』』』






「あの、約束の場所へ」







僕は行く。
みんなが見ること出来なかった舞台へ。
行けなかった場所へ。


一度たりとも戦うことの出来なかった神へと挑みます。







info

第二部予定未定。