end

11




総帥が双黒を持つ純血を囲っているという噂が囁かれ始めた。城の奥深くに誰も寄せ付けないように仕舞われている。
それが誰なのか、あの日闘技場で連れ去られる青年を見たものたちは知っていた。差し伸べられたシキの手を取り微笑んだ青年を。

第七部隊に所属する、いや、していた者。黒の髪と瞳を持つ色濃く純血の姿をしていたもの。
彼の容姿は平凡の一言で片付けられるだろう。多くの人間は彼の整った容姿に気が付かない。彼は、多くの場合笑みを絶やさなかった。表情の目まぐるしい変化は彼が整った容貌であることを隠し、馴染みやすいものとさせていた。そんな彼の存在は一度間近で見てしまえば忘れられないものになる。
知らずにいれば限りなくどこにでもいる青年だ。だが、一度彼の容姿を意識すれば、その思いがけなく整った怜悧な風貌を見つけ、彼が独り無言で佇む姿は一種近寄りがたい雰囲気を醸しだしていることを発見する。また、それとなく他者との明確な線引きをしていることを付き合っていくうちで知るだろう。

近くで間見えない限り存在感が薄く凡庸。十人中十人が振り返ることもない平凡。薄皮が一枚張り付いているように彼の存在は不確かに朧だった。は不思議な青年だった。少年から青年へと転換期の未発達な身体なのに、どこか人生を達観して遠くを見つめる様子さえ時にあった。消して心を明かさない。
誰かが、酒を傾けながら彼のことをこう、評したことが記憶に新しい。





――…は、色のない花だ。





「……アレは、眼を覚ましたか?」

書類を捲る手を止めることなくシキが従順な部下に聞いた。アキラは軽く眼を伏せて無言で首を振った。

「そうか」

シキは頷くだけでそれ以上は深く聞かない。この問答は日に一回は行われ、もはや習慣になりつつある。


――…あの日、は涙を流して虚空を見つめた後、意識を手放した。ただの気絶かと思い、無理やりに起こそうとしたが目は硬く閉じられて開く気配がない。頬を強く叩いても、腹を蹴りつけても等身大の人形のように痛みに呻くこともない。脈を図れば規則正しく動いている。呼吸を確かめれば息をしている。口と鼻を同時に塞いで抵抗を見てみたが全く抵抗する様子も無い。これ以上やったら窒息死してしまうぐらいの赤い顔色に変わったところで手を外した。

医師を呼べば、寝ているだけだと言う。これが眠りか?眠りというよりも昏睡状態だろう。医師はこのまま三日経っても目が醒めないようならば点滴を打つようになると言った。一日、二日、三日…あっという間に三日は過ぎて、は点滴を付けられた。

が眠り続けてすでに二週間。シキは毎日一度はの部屋に通っていた。時に、アキラも通っている。
白と黒を基調としたコントラスの天蓋のベットは、中で眠る人間を隠すように幾重にも重なる薄布によって覆われている。薄布を持ち上げて中に入ればベットの上で微動だにせずに昏々と眠り続ける者が独り。

「……眼を醒ませ、

の額に掛かった前髪を掻き揚げるとシキはゆっくりと身を屈めた。














――…


――…夢を、見た



俺はほろ酔い気分で少しふわふわとした思考と足取りで飲み会の帰り道を一人で歩いていた。
今日は新入生歓迎会でゼミの飲み会が合ったのだ。この場合、新入生っていうのは俺。うちの大学は二年生からゼミに入ることが出来るのだ。
二十歳な俺はちびちびとアルコールを摂取して、先輩達と適当に話し、そして、一次会だけで座を外した。家に帰るのは電車を乗り継いで二時間も掛かる。一人暮らしの友達んちに泊まるって手も合ったが、明日は朝からバイトがある。二次会に出ようぜ、と引き止めてくる友人を悪いと謝って先輩達に頭を下げて居酒屋の前で分かれて俺は駅へと向っている。

ちょっと裏通り的な路地を経由して俺は歩く。ああ、やっぱ一人暮らししてぇなぁ…と思いながら、でも、そうすると一人暮らしに金が掛かってバイト代とか好きなことに使えなくなるよなぁと思ったりする。夜風が頬に当たって気持ちがいい。俺は大きく息を吸って頬に手を当てた。少し飲みすぎたかもしれない。頬が少し熱い。
後ろから軽い駆け足が聞こえてきた。誰か先輩が追ってきたのかと、ふと、背を振り返った。
相手は避けるでもなく、俺に体当たりするような勢いでぶつかってきた。

同時に腹部に衝撃が走った。


「え?」


俺は阿呆みたいにきょとんとして、次いで、衝撃の走った腹を見た。
え?え?なんで…?




―…どうして、俺の腹から包丁が生えている?




ドクン…と、その場所から熱が湧き上がる。
熱い熱い熱い痛い痛い痛い…!!

腹を押さえると生暖かく手が塗れたそれは俺の手では押さえきれずにポタポタと隙間からこぼれ出る。
俺は痛みに膝を折った。顔から地面に落ちる。







「あああああああーーー!!」







絶叫を、俺の耳は捕らえた。
痛みで脳みそをかき回される灼熱の熱が沸き起こる脳のパルスが混乱する伝えるのは一つ―――痛み。



馬鹿な。ふざけるな。やべぇよ。俺って死にそうじゃん?
脳みその一部。狂ったように痛みを訴える脳の片隅で馬鹿みたいに俺の頭が言葉を羅列する。
おいおい、冗談じゃない、なんで血が?血なんて流すのいつ以来だ?

腹を押さえて頭を垂れるように地面に倒れこんだ。
血が…血が流れていく…―――








暗転








ザァザァと雨の音が絶え間なく聞こえる。
灰色の風景の中で黒い衣装を見に纏った一団が沈痛な表情で線香を上げている。俺は映画の場面でも見るように遠くからそれを見ていた。線香からゆらゆらと仄かに立ち上がる煙。これは誰の葬式だ?俺は少しずつ棺おけに近づいていく。愁傷に頭を下げたままの喪主も誰も俺が棺おけに近づいていくのを止めるそぶりがない。まるで誰も俺が見えてないかのようだ。ごくり、と唾を飲み込む。白黒の献花の下、棺おけを見下ろした。



凍りつく。頭から氷水を浴びせられたようだ。ガタガタと体中が震える。心が追いつかない。




――…俺が、死んでる。




棺おけには瞳を閉ざした俺が眠るように横たわっていた。色のない花に顔の周りを包まれて、腕を胸で組み、祈りを捧げるように死に顔は安らかに微笑んだまま。



『―…可哀想に、まだ二十歳でしょう?』
『殺されたんですってね…夜道は危ないわ』
『裏道で、一日ずっと放って置かれたらしい』
『ご愁傷さまなことだ…まだまだこれからだっていうのに…』



黒い服の人間が口々に言う言葉が聞こえた。俺は死んだのか?俺は、殺されたのか?俺は…俺は、この、思考している俺はなんだ?



ッ、なんで死んじまったんだよぉっ!!』


俺の身体をすり抜けて、俺の棺おけに泣き付いた男がいた。俺の友人だった。この友人には毎度ゲームや本を借りたりとお世話になっていた。思えば、中学からの付き合いだ。もしかしたら、親友にも分別できる間柄だったのかもしれない。親しくなればなるほど素っ気無くなる俺の態度にもめげずによく一緒に一緒にいたものだ。
……そういや、こいつにホモゲー借りたんだよな。そうだ。何の因果か、俺はこいつのせいでホモゲーに行ったに違いない。一発殴っておこうと拳を突き出したが、それはするりと友人の身体を通過する。空気を殴ったような感触だった。
ああ、俺は幽霊なのか。死んでいるのか。生きては居ないのか。俺の居場所は無くなったのか。





暗転





俺の身体は火葬場に入れられた。それに同調するように俺の身体も突然灼熱に襲われた。

「ひあああぁぁああぁぁぁあぁあっぁ――…!!」

全身を焦がす硫酸でも掛けられたような熱。熱いのか、冷たいのか分からない。ただただ、何かに熔かされる。ただ、俺は紅蓮の炎で焼かれ続ける。何故だ、俺が何をした。俺はには何の咎もない!!ボロボロと身体が焼け爛れて溶けていく。消滅していく身体。灼熱だマグマよりも熱く、氷よりも冷たく。俺の身体は崩壊する。生きたまま焼かれた。まるで、生きたまま殺された殉教者のようだ。俺は何か罪を犯したのか?気が付かぬうちに、地獄の業火で焼かれるほどの、咎を背負ったのか?ああ、そんな心当たりは全くない。俺は普通に生きていた。平凡に生きていた。人々の間に埋もれて生きていた。


――…ああ、全て、過去形だ。俺はもう生きていないのか。死ぬのか。死んだのか。四年前に、すでに、俺の身体は―……










では、咎犬の世界にあった俺の【身体】はなんだ?
全てが崩れ落ちる瞬間、疑問が湧いた。




















そして俺は、無へと還った。