end

12





夜よりもなお深き暗黒。空虚な闇。闇の具現たる深淵…それは、絶望の淵。

それは、無。


緩々と意識が底なしの沼の中から浮上してくる。絡みつくような黒い沼はとろとろと皮膚の上を滑っていく。
やがて、身体は完全に黒い沼の宙に浮く。暗闇の中の沼は塗りつぶされた黒の中では見えやしない。なのに、はっきりと瞼の裏で自分の状況を把握出来ている。
やがて、沼の中から白く光る手が何本も現れて俺の体の隅々を触り始めた。

ザワ、リざワり ザわ、り

その手は厭らしさは微塵も無く実験動物に対するように冷たく、事務的に俺の体の隅々までを検分する。


キモチワルイ。キモチワルイ。サワルナ。


動けない俺は嫌悪感が喉元にせりあがる。ほんの一瞬、あるいは永遠に弄繰り回された身体がやっと開放される。安堵したのも束の間、ぽたぽたと頭上から水滴が落ちてきた。
額に断続的に落ちてきた水滴はこめかみを通ってチャポリと沼へと滴った。パッと黒い水滴が水面に触れた瞬間赤い花びらに変わった。黒い水面に波紋が広がり、赤い花びらが花火のように散り弾ける。

真っ赤な花びらはくるくると黒の中に螺旋を描き、吸い込まれた。





赤は、何の色だっただろう?







――― 渦巻く、螺旋。








視界一杯に広がる赤。鮮やかな血の色を溶かし込んだ色が胸に響いた。


そうだ、赤は赤は…―



「……赤は、命の色だ。そして、死の色だ…」



その色を引き寄せようとして腕を伸ばした。ブチブチと何かが千切れる音がしたが些細なことだ。
両手を伸ばして男の頭を抱きかかえるようにして自分に近づけようとした。近くなる距離。目を離せない命の色、死の色。
至近距離の赤い宝石を黒い瞳で写し取る。

シキはいくら手を尽くしても昏々と眠り続けていたが突然に目を開いたことに驚きとかすかな安堵を覚え、その力ない腕に引き寄せられるまま唇が触れそうになった。が、その寸前で が小さな吐息に載せて呟いた。

「……俺は、死んだ」

静かに絶望を告げた。その声色は低く掠れ、何日も泣き喚いたような虚ろな響きを部屋全体にもたらした。
ピタリと行動を止め、近くに見る薄ぼんやりと近くでみるの漆黒の瞳を覗き込む。引き込まれたらその先にあるのは闇でしかない。

あの男が―…シキが固執した男の狂気に似ていた。
それは、全てを無くした者が最後に宿す純粋な狂気、そして諦め、絶望。無を写し取る黒。闇闇、虚ろ。

いくらか削げた頬の肉はの容姿をよりシャープに見せていた。は虚ろな瞳でシキの瞳を凝視し続けた。いや、シキの姿など見ていないのかもしれない。その意識ははるか遠く、ここに無い。何をするでもなく目を逸らさないをシキも見つめ続けた。の目が潤み、盛り上がった雫が耐え切れずに眼の淵から零れ落ちた。それを堪えようともせずは眼を開き続ける。
零れ伝った涙をシキは舌でそっと舐め取った。湿ったシキの舌は熱く、ゆっくりと一回、は瞬く。

「死んだ、のか?貴様は?」
「――ああ。死んだ。俺は死んだんだ…」

シキの口元が歪み、慈愛すら感じさせる声で問う。
シキはの上に馬乗りになると両手での顔を優しく硝子細工を扱うように包み込んだ。




「――…ならば、俺が貴様をもう一度殺してやろう」



低いシキの声が耳朶に囁かれる。背筋を駆けた電流をなんなのか把握する間も無くの喉にシキの両手が深く食い込んだ。
詰まる息に眼を開くと、薄く微笑んだシキが首を絞めていた。気道が塞がれる、息が、肺が、苦しい―…陸に上げられた魚のようには口を必死に空けて酸素を取り入れようともがいた。苦しい、止めろ!

酸素を求めて身体の細胞が悲鳴をあげる、血管を流動する血が酸素を求めて奔走する。
口から飲み込めない唾液が溢れた。 シキの両手を首から外そうとシキの手を引っかいた。闇雲に手加減もなく引っかいたのでシキの手の甲にくっきりと爪で抉られた線が走る。


―…死ぬ。俺、死ぬ。



「苦しいか?しかし、すでに貴様は死んでいるんだろう?」


力など込めていないように涼しげな顔で、声で、シキは首を絞め続ける。


「…ァハッ…ァ」
「貴様は死んでいるのか?苦痛を味わえるのは生きているものだけだ」

意識が朦朧となる…堕ちる、そう意識した瞬間にシキの手は首から離された。急に吸い込んだ空気に噎せ返る。

「ウッグァ…ハァ…ハッ」

狗か猫のように腹ばいになって身体を丸めて喉元を押さえて呼吸を整える。忙しないそれこそ狗のような呼吸。酸欠でくらくらした頭はぼんやりとしている。



「はぁ―…はぁ―…」
「さて、貴様は死んでいるのか?生きているのか?」

シキは見ているこちらの背筋が凍るような無表情で見下している。
この苦痛が夢であるものか。苦痛を飲み込んで答えた。




「……生きて、る」




後ろから髪の毛を引っ張られて無理やり顔を上げさせられた。眼前にはシキの顔。シキの赤い瞳を囲う長い睫が見えた。

「目が醒めたようだな。生きていることを実感出来たか?」


俺を嘲笑し、シキが笑う。
ああ、俺は現実世界で死んだのに、ゲームの世界にいるのか?俺はなんだ。俺はなんなんだ?生きている俺はなんだ?死んだ俺はなんだ?




「なんで、俺を生かす…」


シキに弱弱しく問いかけた。シキ、お前は弱者に興味が無いのだろう?弱い人間を人とも思っていない。それがお前だ。
もういっそのこと、問答無用に息の根を止めてくれたらどんなにいいか。なぁ、俺ってなんだ。なんなんだよ…。





「――…お前は俺を生かした。だから、お前が死ぬのは俺の手によってだ」






意味が分からない。


「分かったか、?」
「……分かッ…た」

分からないが、頷いた。俺が意味が分からずに頷いたことを分かっていながらシキは目を細めて言った。

「いい子だ」

前髪が掻き揚げられ、軽く額と、唇に口付けされた。驚きに見開かれた俺の瞳をシキが手の平で瞼を下ろす。眠れ、と耳元に小さく囁かれて俺は眠りの海へと吸い込まれた。












再び眼を醒まし、ベットの脇を見るとアオイが控えていた。
アオイが眼が覚めた俺に気が付き、人のいい笑みを浮かべた。吊られて俺も笑ったらアオイが反応を返されると思っていなかったようで少しだけ目を見張った。

「眼が覚めましたか?さま」
「アオイ…」

喉が渇いていた。乾いた俺の声に、アオイはベットの脇においてあった水差しを俺に差し出した。仄かな甘さと独特の香りはアクエリアスのようなスポーツ飲料と相違ない。喉を通った飲料はそのまま五臓六腑に染み渡った。俺は水差しをアオイに返すと鼻を突くにおいに気が付いた。それは、寝たきりの人間やだらしない人間が発する饐えた匂いだ。微かに感じたそれに眉を潜めた。

発信源は…―俺自身だ。

「アオイ…あの、俺、どうしたんですか?」
「一ヶ月ほど、眠っておられました」
「一ヶ月ッぅ!?」
「はい。昏々と眠り続けていらっしゃいまして…眼が覚めて、良かったですね」

アオイが俺の身体を支えて立たせてくれた。一ヶ月もの間眠っていたという事実に驚いて俺は呆然とアオイに支えられたまま浴室へと向った。少なめに張られた風呂でやっと我に返って支えてくれているアオイの身体を押しのけようとした。

「風呂ぐらい、入れる!」
「無理ですよ。一ヶ月で身体の筋肉が弱ってますから」

あっさりと否定され、さっさと服を脱がされた。俺の着ている服は病院で手術前の患者が着ている前あわせの貫頭衣だった。
アオイも上着とブーツを脱いで一緒に入ってきた。ワイシャツを腕まくりをした様子はなんだか軍人らしくない。いいとこ、急に豪邸の風呂掃除をしだしたお坊ちゃんのように見える。まぁ、本来なら別に男同士だし恥ずかしがる必要は無い。
しかし、俺が裸なのにアオイが服を着たままという状態が無駄に羞恥を煽る。あれだ、アオイが全裸ならむしろ俺は恥ずかしくなくなる。修学旅行の団体風呂だって、皆で入るから恥ずかしくないのだ。俺はどうしていいか分からずにとりあえず股間を隠しているしかない。
クスリと、アオイは俺の女子のような行動を笑った。笑いやがった。カァッと顔が赤くなる。俺は恥ずかしがってなんかいねぇぞ!!

「身体洗いますので、座ってください。…あ、すいません。座るのも大変ですよね」

座るように促されたが、膝が上手く曲がらない。アオイが俺の身体を抱えるようにして座らせた。参ったな。一ヶ月ってこんなに筋肉が衰えるものなのか?思わず、自分の非力さに爪を噛んだ。泡泡が身体の背中を包んだ。スポンジかなんかで擦られる背中はアオイに任せて俺は身体の全面を石鹸でゴシゴシ洗った。少し、痩せたようだ。…なんか腹が減ってきた。
あわ立てた石鹸が俺の体を洗う。

「…これ、刺青ですか?」

背中を洗っていたアオイが聞いてきた。なんのことだ?アオイが右腕に指で触れた。ピリッとした静電気のような感触が微かにあったので俺は右腕を見たが何も無い。

「どこに?」
「もう少し、裏側です」


右腕のかなりの外側。普通にしていたら俺が気が付かないようなところにそれはあった。無理やり右腕を前に捻るとやっとそれは見えた。





「…【 Z 】」




そこには黒ずみで彫られた文字。



「【Z】ですよね、【N】じゃなくて…皮膚に馴染んでますし、結構古いものみたいですね」
「あ、あ…昔に、入れたんだ」
「そうなんですか?」

嘘だ。刺青を入れた覚えは無い。俺の身体は傷がない。ピアスや刺青なんて、興味はあっても実際にしたことはない。
それは現実世界においてもそうだったし、咎狗の世界に来てからもそうだった。なぁ、どういうことだよ。この身体、俺のものじゃないのか?
鏡に映る俺の姿を見る。黒髪黒目、造詣は全て俺だ…俺のはずだ。俺って、この顔だよな?
夢に見た、火葬された自分の顔を思い出そうとする。

無言で風呂に浸かった。溺れたらいけないとのことで、アオイは風呂の傍に立っている。幸いなことに風呂の色は乳白色だったので俺の裸体が絶えずアオイの視線に晒されることもない。高い天井をぼうっと見上げた。



















いっそのこと、何もかも忘れてしまえればいいのに。




  • 第一部終わり


第一部は終わり。(え、これで終わり?とか言われること請け合い)
第二部はますますオリジナル色。むしろオリジナル一色。それ意外にエンド後なんて掛けないんですよ、奥様!

第二部はオリキャラ大量投入。原作キャラも再登場。戦闘。絡み。再会。えろ(は書けたらいいな!)。
なにやらしばらく書いていなかったので萌えゲージが下がっていますので、ゲームやり直して充電します。キャラが掴めなてないぞ!