end

09




翌日。俺は眼を覚ました。
四年間の間ずっと夢から醒めて目を開けたらそこに現実の生まれ育った世界が広がっていることを願った。最初のうちは眼を開けるのが待ち遠しかった。眼を開ければ、全部夢だった!そんなことを期待した。けれど、一年が過ぎ、二年が過ぎ…眼を覚ますという行為が怖くなった。目が醒めても非現実的なゲームの世界に俺はいる。しかも、ホモゲーム…。

生まれたときの俺を知っているものはいない。
俺の誕生した瞬間から育った間を知っているものはいない。俺はこの世界に生まれていない。誰かと話しているとき、誰かと触れ合っているとき、誰かと笑いあっているとき…――俺はいつだって孤独を感じている。

孤独というものがとても身近に感じている。それは誰も居ない闇を覗くようなもので、光があるのに光がない。馴れ合うのは怖い。心をさらけ出すのが怖い。






ただ―…そんな俺が、唯一、少しだけ、俺が「この世界で生きている」と感じる時は…――







「……やっぱり、ゴウジャス部屋かよ…」

出来ることならば、昨日の出来事はなかったことにしたかった。
眼を開ければ白銀と黒で飾られた天蓋が見える。ヒラヒラとしたレースが揺れている。むっくりと俺を起き上がった。着ているのは普通の半そでシャツとゆったりとしたスウェットだ。変なお色気プンプンの着替えを出されたらどうしようとか思ったが、まともな服で良かったと風呂から上がった時は安堵した。その後、食事の盆を持って戻ってきたアオイの視線を感じながら黙々と食事を終えて布ベットの中に潜り込んだ。飯は部隊寮での飯と比べ物にならないほど美味かった。この世界に来てから久しぶりにマジ美味いと思える食事を食べた気分だ。
…欲を言わせてもらえば、米が食べたかった。和食が食べたい。白米に味噌汁に焼き魚。

素足で床に下りると床の冷たさにふるりと全身が震えた。そのまま洗面所で顔を洗う。鏡に映った俺の顔はいつもとなんら変わらない。平凡などこにでも有る日本人顔だ。あえて冷たい水で顔を洗い、気分を引き締めた。

「よしっ!」

軽く手櫛で髪を整えて、気合一発。俺が居間だか寝室だかどっちもくっついてる部屋に戻ると、いつの間にかアオイが居て朝食の準備をしていた。軍服の好青年が俺の為に朝食の支度をしているのはなんとも不思議な光景だ。一言で言い表すなら居心地が悪い。

「おはようございます。よく眠れましたか?」
「はい。どうもありがとうございます」
「朝食の支度は終わりました。この後の予定はどうないますか?」
「朝食を終えたら、すぐに寮の方へ戻りたいです」
「では、朝食のあとにあちらのソファーに掛けておきました服にお着替え下さい」

テーブルに準備された、ブレックファースト。
パンにスープにフルーツに紅茶。人間食えるときに食っておかなければ後から何が起きるか分からない。俺は遠慮なくバクバクと食べた。アオイは昨夜の夕食のときと変わらず、俺の背後に控えてじっと観察するように俺を見ている。もう気にするものか。所詮はコイツも他人だ。他人にどう思われようが、どうでもいいじゃないか…!

渡された服は、変わらずに軍服だった。ただ、俺が寮においてきたものとはやっぱり違うらしく第七部隊を示す徽章がなかった。徽章が何も付いていない軍服に着替えるとますますキュっと気分が引き締まった。制服は縛られているような気がするけれど身が引き締まるという点では意識下に働きかけるものがある。俺としては高校のときなど制服がない学校のヤツラはわざわざ毎日着ていく洋服を考えるのは大変だろうなぁと思っていた。制服がある学校は毎日能動的に制服を着ればいいだけなので楽なことこの上ない。

「あの、アオイさん。昨夜僕が着ていた服はどうなったんですか?」

あの服はかなり愛着があるので、もし捨てられたら沈む。

「私のことは呼び捨てで結構です。貴方が着ていた服はクリーニングに出されていますので、今日中には戻ってくると思います」
「あ、そうなんですか。良かった…」

呼び捨てにしろ、と呼ばれてそんな簡単に親衛隊のものを呼び捨てに出来るわけがない。そもそも、アオイだって俺のことを名前で呼んだのは一回きりだ。一番最初の呼びかけのみ。そういう細かいところを俺は鋭く覚えている。二人して敬語で話し合っているので無茶苦茶他人行儀バリバリだ。

第七部隊の寮はたった一日だけ離れていただけなのにも関わらず、なにか親しみ慣れた実家に帰ってきたような感慨を味わった。ああ…俺、この寮でずっと暮らしたい。ヤダよ。あの【城】の住人になるなんて…。シキとかアキラとか親衛隊とかが暮らしてんだぜ?絶対無理。
第七部隊用寮へは正面玄関からいつものように普通に入って行った。起きて、朝食を食べ終えたのが遅かったので寮内にはちらほらとしか人影はない。ほぼ、皆無に等しい。誰にも見咎められることなく部屋に着いた。部隊には小さいながらも個室が与えられる。中はすっきりとして整理整頓が行き届いている。もともと俺の荷物は少ない。ナップザック一つで事足りる。

「アオイさんは…」
「呼び捨てで結構だと、言ったはずですが?」
「……アオイはベットのところにでも座っててください。すぐに済むんで」

簡素なパイプベットの下から米俵のような形をした軍で配布されたカバンを取り出し、引き出しのなかから詰めていく。軍服軍服…ああ、あったあった。支給されてあるサーベルやら私腹やら、本やらを入れる。

「何か、お手伝いできることは」
「いえ。一人で大丈夫です。荷物、少ないんで。ほんと、すぐ終わるんで」

むしろ、黙ってこの部屋から出て行ってください。とは口に出していえるわけもなく、俺はテキパキと荷物を入れる。三十分もすれば、完璧に支度は終わってしまった。……名残惜しい。この後、またあの質素に見えるが豪華な部屋にトンボ帰りすることは眼に見えている。なんとか、その時間を延ばせないものかといつもはしない掃除なんかを始めてみるが、それも本の後六分で終わってしまう。遣ることがなくなってしまった俺は、動きを止める。

「終わりましたか?荷物は私が持ちますよ」
「え、あ。僕が自分で持てますよ」
「貸してください。此処まで来て、私が手ぶらで付き添うのは可笑しいでしょう?」

人の良い笑顔で強引にカバンを奪われた。ヒョイッと片方の肩に背負い、行きましょうとドアを開けて促されるので出るしかない。ちらっと短い間だったが馴染んだ俺の部屋を出る。廊下へ出た途端、視線が集まった。どうやら、荷物整理をしている間に中休みに為ったらしい。見知った顔や見知らぬ顔からの遠くからの無遠慮な視線…いや、畏怖の視線を感じる。俺に向っているのか、傍または俺の後ろにピッタリと張り付いて歩いているアオイに対してのものなのか。

「見ろよ」
「うわ」
「アイツ…」

…出来るならば、後者の線でいて欲しい。中学校の美術のテストの模写では「始め!」の合図で鉛筆を動かそうとしたら手が大層震えていて暫く手首を押さえながら絵を描いていた。そんな小心者の俺なんです。大勢の視線は割り切っちまえばどうってことがない、相手はナスだ。キュウリだ。カボチャだ。よし、自己暗示終了。
俺の部屋まで遠巻きに眺められながら辿りつく。 近くにいた者の傍を通ると軽く頭を下げられてそのまま不動だ。これはあれだな、アオイに対してのものに違いない。なんとなく、俺が暴れん坊将軍とかになったような気分になる。

!」

食堂の横を通り過ぎようとしたとき、此処何ヶ月の間近くで聞いていた声が背後からした。

「……ユキ」
ッ!良かった!僕、心配してたんだよ。シキさまに連れて行かれてしまって…」

感極まって走りよって、飛びつこうとしたがそれは俺に受け止められることなく阻止された。阻んだのは、アオイだ。

「接触は避けていただけますか」

俺とユキの間に壁を作りアオイは言った。やんわりとした言い方だったが、アオイの背後から垣間見えたユキの顔が緊張に強張ったのを見て、もしかして顔は好青年でホホエミを湛えつつ、眼は笑っていないとかそういう顔をしているのだろうかと考えた。もしそうなら、怖い。俺はそんな器用なことは出来ない。人のよさそうなヤツが真っ黒な笑顔とかだと怖いよなぁ〜と、ぼんやりと考えてみる。

あれだ、ケイスケなんかが弱気な笑顔が「アキラァ!」な凶暴になってしまったときの俺のショックは計り知れなかった。予備知識もなくやったから、最初はケイスケって死ぬ雑魚キャラだと思ってたんだよなぁ…。

「ッ…親衛隊の方ですか?どうして、と一緒に…」

ユキ、凄いね。真っ黒い笑顔をされたら俺、絶対声出せないよ。

「君は?」
とは同じセルのユキであります」※セル。三人一組(スリーマンセル)のこと。
「ああ…。ならば、君ともう一人のセルに伝言を。本日1400に【城】へ出頭せよ」
「?誰を訪ねに」
「私を」
「失礼ですが…お名前を伺っても?」
「スペードのアオイと言えば、分かるかい?」
「!!まさかッ―…!」

なにか驚いたようにユキがアオイを見上げたが、俺にはさっぱりユキが何に驚いたのか分からない。頼むから、俺が分かるような会話をしてくれ。俺はアオイの背中をつついた。首だけめぐらして「何か?」とアオイが言った。

「あのぉ、ユキと少し話しをしてもいいですか?……もうここに帰ってくることなんてないんでしょうから」
「…そうですね。いいでしょう。三分だけお待ちします」

三分ってカップ麺かよ。ウルトラマンかよ。
了承は取ったのでアオイを押しのけてユキの方へ寄った。唖然とアオイを見上げていたユキは俺に気が付いてハッとして困惑した表情になった。廊下の壁の方に移動して、ユキと向かい合って小声で話し始めた。

…どーなってんの?っていうか、、マジであの後無事だったの?シキ様に連れて行かれちゃってホント僕心配したんだけど」
「俺も超怖かった。まぁ、なんかすぐには殺されはしないっぽい。なんか、住むとこ与えられたし…」
「はぁっ!?なんで!?シキさまに気に入られたってこと?」
「いや。それはありえねーだろ?俺だよ?」

この平凡な日本人顔が気に入られるとでも思う?というつもりで返したのだがユキは眉間に皺を寄せたままだ。折角の女の子のような可愛い顔が台無しだ。男に女の子みたいに可愛いって言うのは褒め言葉じゃないだろうがな。

「それに、…あの方がどうしてに付き添ってるんだよ」

ユキがちらりと少しはなれたところで控えているアオイを見やった。

「アオイ?なんか、俺の世話係りに任命されたとかで昨日の夜から付いて回ってる。あの人がどうかしたのか?」
「呼び捨て!?ちょっと!まさか知らないとか言わないよね!?親衛隊で、名前がアオイって言ったら、一人しかいないじゃないかよ!」
「……え、なに。アオイって有名なの?」

自慢じゃないが自分の範囲以外のことには無関心な俺だ。ユキが信じられない!と声を荒げたが頭の中はハテナマークで一杯だ。

「うわっ!しかも呼び捨てだし!あのね、四天って言えば分かる?ねぇっ?」
「…聞いたことあるようなないような…」

よくゲームとかである四天王とかは聞くけど、咎狗の中でそんなヤツラや聞いたことない。なので首を捻る。ユキは大仰にため息を付きながら壁に手をついて首を振った。

「僕もうの無関心さとか鈍感さとかヤダ!」
「ヤダとはなんだ。酷い言い方だな、オイ」
「親衛隊のアキラさまの下に四天王あり!って聞いたことないの!?」
「知らんな。なんだよ、それ?」

新しい食べ物か?とまではボケないが、聞いたことないものは聞いたことがないのだ。

「もういいよ…」

俺としては聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥で詳しいことを聞かせてくれと訴えたつもりなんだが…ユキは投げやりに言葉を続けた。

「で、はどうなるの?」

心配そうに下から覗き込んでくるユキ。俺はふと苦笑いをし、首を横に振った。

「分からない。先のことなんて、全然分かんね。俺、いつだって行き当たりばったりだったし…」
「そうだね。コガって考えてるようで全然何にも考えてないよね」
「…ほんっとお前って棘あるな!」
「あはは!だってホントのことじゃん」

この数ヶ月身近にあった言葉のやり取りは馴染んだものだ。弾けるように笑った。

「失礼ですが、そろそろ時間です」

アオイがにこやかに邪魔をしてきた。空気をよめよ、お前、

「ああ、なんか、バタバタして悪かったな。キョーヤにも、宜しく」
「うん…」
「じゃあな」














――またな、とは言わない。
言えない。