end

08









「ふはははは!」


突然、シキが声高らかに笑った。滅多に聞くことのないシキの笑い声。俺は唖然としてシキを見る。
シキが声を出して笑ってるよ?え、どーしたの?笑い茸でも食べた?肩を震わせてシキは笑う。その笑い一つとっても、なんとなく王者の風格というか堂々としていてこの野郎、と思う。これは俺の僻みか?ああ?

「ふははッ……!まさか、こんなところにいるとは…なんたる、僥倖」

笑いを引っ込めると、嬉しそうにシキが俺に手を差し伸べてきた。

…はい?まさか、この手を取って忠誠の証に口付けろとか?…いや、まさか。手のひらは上に向いてるし、手に口付けではないな。困惑して俺はシキと手を見比べる。一体なにをしろと言っているのだ?まさか、握手しろとか?
闘技場はシキの動向に支配されている。誰もが、一挙一動に目が釘付けだ。俺は戸惑いがちにシキを見た、かすかに微笑んだシキの真っ赤な瞳かち合う。本当に綺麗な顔だ。男だと分かっていても…彼が笑えば、どんな女も男も選り取り緑だろう。もちろん、男に興味がない俺はシキの美貌に素直に感心はするがそれ以上は何も感じない。

あれだよな…ここでもし、逆らったら殺されるよな?ごくり、と俺の喉がなる。





――…俺は、恐る恐るとシキの手に己の手を捧げた。やけくそに、微笑んで。





□■□





ズンズンと歩く(すでにこれは歩いていない。こいつの歩くのは速すぎる)シキの後ろを小走りで追いかけていきながら、何故か手は離していただけませんでした。
ずっと握られている手は振り払うことも出来ずにそのままだった。振り払ったら怖いもんね。シキが革手袋を嵌めたままだから、ペットリとした革の感触があるだけで、実際の体温は感じられないのは救いかもしれない。ホラ、仲良くない人間に手なんか長時間触れ合ったままだと精神的ストレスを感じるだろ?

というか、ここはどこだろう?【城】で俺が足を運ぶ機会が皆無な際奥の方。おーい、これ以上行くとシキとかアキラとかの居住区に入っちゃうんじゃないのか?二人の愛の巣に、俺が入っちゃうよ?うわぁあーー!!なんか、ヤバくね!?
ぞわぞわと悪寒が背中を走る。

「あのっ―…どちらに向っているんですかッ?」

俺が勇気を振り絞って問いかけてもシキは振り返りもしない。
俺が乱暴に連れ込まれたのは一室だった。…まさか、ここってシキの自室ってことないよな?と俺は中に入ったはいいが冷や汗が出てくる。質素な部屋だが、それなりに高級そうな調度品が置かれている日差しも良好な、良い部屋だった。…ドーンと支柱の天蓋付きのベットとかがなければもっとな…。

段差の上にベットが置かれて、その後ろに大きな半円形の天窓が有る。夜や日中は月光欲や日光浴が良くできそうだ。
余裕で大人が五人ぐらい眠れそうなキングサイズのベットがあるって言うことに俺の腰は逃げ腰になった。シキはそのまま歩くと俺をベットの上に強引に座らせた。ビビリながら俺を座らせたはいいが、立ったままのシキを見上げる。

俺、今かなり貞操の危険を感じ始めています。なんたって、絶倫のシキ、後方には押し倒されたらベット……頬の肉が引きつるのは仕方がないことだ。シキが俺を見つめていた。シキの手が俺に伸びる、ビクリとするが目を逸らして瞑ってしまったらシキの次の行動が予測できない。もし押し倒されたら…貞操が…俺が必死に守ってきた貞操ガ…女と違って男の貞操なんてどうでも
いいだろう思う女もいるかもしれないが、男が犯されるのだって相当な精神的ダメージだ。
それこそ、自殺したくなるぐらいの。犯される側の立場に男も女もない。感じる恐怖は一緒だ。踏みにじられる、押さえ込まれるどうにもならない恐ろしさは。

犯られそうになったら手元には使っていたナイフがまだあるから、それで反撃に出るとか?…返り討ちにあって終わりだな。倒せないなら、自分が消える?舌噛んで自殺する?それも、出来れば勘弁なんだが…いや、犯されるぐらいなら…尻の穴使われるぐらいなら…。いやでも、死ぬのも嫌だ。いっそ、狗に噛まれたと思って甘んじるか?

悶々と考えている俺の頬を手袋を外したシキの繊細な手が頬から顎、唇に掛けてなぞった。普通ならくすぐったさを感じるところだが、生憎とそれを行っているのがシキな時点で怖いだけで何も感じない。
シキは俺の体温に比べて、冷たい手だった。熱のあるときに額に当てたら気持ちが良さそうだ、うっとりと目を細めそうになってしまった。

スッとシキが屈みこんだ。ぎょっとする俺をよそに、シキは軽く膝を付いて俺より目線が下になる。見上げてくる形のシキに俺は息を呑む。シキって言うのは絶対に誰にも膝を付かないヤツだと思っていた。彼が膝を折ったのは負かされた[ n ]にだけ。その知っている事実があるだけに、俺は動揺した。

「ッ…なんで、俺に膝を折る必要があるんですか!貴方がッ…」
「黙れ」

狼狽えて立ち上がろうとした俺の行動をシキは一言で止めた。
膝の上にあった俺の手を取って、シキが軽く指先に口付ける。なにか、大切なものに対するような動作に少しだけ胸がはねた。

…………って!俺はホモじゃないんだ!男にやられて悪寒で心臓がはねただけだ。誤作動を起こしているぞ!俺の心臓!


「ッ……ヘ?」


途端、視界が回った。天上が真上に合って、俺の至近距離に赤い瞳と黒い髪が一杯に広がる。突然立ち上がったシキが俺を押し倒したのだ。


――…ヤバイッ!犯される体勢だ!流石シキ、手馴れてやがる!!


あっという間の体勢の変化に俺は蒼白になって、シキを見上げる。あれか、やっぱり此処は舌を噛み切るべきなのか?それとも、泣き叫ぶべきなのか!?精一杯の抵抗!?何をしようとも、シキが止めてくれる保障はない。というか、シキが止まるわけがない。
よく考えたら、こいつは死姦でもイケるヤツじゃなかったか?思考が回ってぐるぐるしている俺をシキは組み伏せながら言った。



「……微笑ってみろ」
「微笑…う?」



きょとんとして俺はシキの顔をまじまじと見てしまった。シキは俺の顔を見つめ、それ以上は言わない。俺の顔の両脇にある両手は不埒なことを働こうともしない。

……あれか、よく分からないけれど、この体勢になってるのに何も手を出してこないということは、シキにしては有り得ない。手の早い絶倫シキだ。なのに、手を出してこないということはアレだ、俺はシキの好みの範疇外なんだな?そうだな?きっとそうだな。俺みたいな平凡な一般市民(正確には一般兵)にシキが気まぐれに下って手を出すわけがない。良かった。俺の貞操は守られる。このままグッサリとシキに殺されるかもしれないが、犯されるよりはマシだ。そうだな、うん。

馬鹿だな、俺ってば。心配して損した。俺の貞操は守られるわけだ。そうだよな、俺平凡だもん。アキラとかみたいに美形じゃねーもんな。




だから、微笑んだ。
自分の勘違いを笑った。



シキが息を呑む。
ああ、綺麗な赤い瞳だ。透き通ったルビーでもなく、もっと黒く黒く闇を映しこんだような、血の色。
真っ赤な真っ赤な…誰よりも血を見たもの。こんな状態だというのに、赤い瞳なんて見たことも無い実物の色彩に見とれた。






「――…存在していたんだな…PHANTOM」







聞きにくい掠れた声で呟かれて俺は首を傾げる。なんて言った?PHANTOM(ファントム)?それって、幽霊とが幻影とかのことだよな?幽霊だと、どっちかというとゴーストの方が有名だけど…いや、てか、それってアキラのブラスターでの通り名?いや、それは「LOST」だっつーの!と、脳みそが混乱する。
シキが俺の身体の上から退いた。俺は尻でシキから離れる。


「――…貴様の部屋はここだ。欲しいものがあったら言え…消えるなよ」
「は?」


思わず、素で聞き返した。ふと、俺は闘技場での妙なハイテンションが脳裏にリフレインされた。……俺、シキに向ってこの上なく斬首刑ものの失礼な口を利いてなかったか?


『ははッ!ごめんな、シキ!駄目だ!今の俺、笑い死にそうだ!』
『はぁ?俺がラインを使うんな死んでも御免だね。お前の菌なんか欲しくねーよ』
『ヤダヤダ。なんで、シキがわざわざ降りてくんの?俺、アンタとアキラにはお近づきに為りたくなかったんだよ。畜生ッ!俺の人生設計がまた狂った!』


なんかもう、気を失いたいぐらいの失礼な口の聞き方をしていた。
シキをシキとか呼び捨てにしてるし、お前とか、アンタとか言ってるし、極め付けにシキを菌扱いしてる…や、シキが菌だってのはあながち間違ってはいないんだけど、シキ本人に向って…。俺は生まれて二度目に音を立てて血が引いていく感覚を味わった。


「貴様の、名は?」
…」
「そうか、、か」

聞かれていることに反射的に答えながら、俺は遠くのことのように感じていた。シキが俺の髪に触れ、そっと撫でて背を向けて去っていく。その時のシキの顔には気色が浮かんでいた。珍しく、ほっとしたような表情が。
俺はそれに気が付かないまま気を失った。





□■□





額に当てられたひんやりとした感触に俺はうっすらと目を開いた。ここは…どこだ?ぼんやりとしていると、横から柔らかい声が掛かった。

「ああ、気が付かれましたか?」

視線だけ動かすと、そこには亜麻色の髪を持ったいかにも好青年の外見を持った男が居た。首を巡らして彼を見たら額からタオルが落ちた。彼はそのタオルを手に取って横においてあった水を張った盥に付けた。カチャリと盥の氷がぶつかる音がした。俺は半分寝ているような頭で上半身を起こした。ここ、どこだ?俺…何してたんだっけ?

「どこか、気分でも悪いですか?」
「いえ…気分は大丈夫ですけど…貴方、誰ですか?ここは?」

心配そうに問いかけられ、それに答えてからはっと気が付いた。

あれだ!俺、シキに連れられて来たんだ!思わず胸に手を立てて、自分の心臓が動いているかどうか確認してしまった。ドクドクと血潮の流れる心臓の喧しい音に「はぁっ」と安心のため息をついた。
良かった〜俺、生きてるよ。ついでに、尻の穴の方に意識を向けたが、痛みはない。貞操は奪われてない。ありがとう、神様!

「私はアオイと申します。本日より、さまの身辺の世話をさせていただきます」

アオイと名乗った彼は軽く俺に向って頭を下げた。

「世話?え?は?あの、どういうことですか?」

状況を把握できずに眉に皺を寄せてしまった俺にアオイはにっこりと笑った。なんというか、地蔵参りにいくおばあちゃん達に大人気に慣れそうな笑顔だ。見ているこっちがほっとする。
……けれど、油断しては行けない。彼の格好は階級関係なく着ている軍服だが、胸の位置に輝く徽章。表しているのは…オイオイ、嘘だろ?親衛隊の者じゃないか…。

新兵な俺がおいそれと声を駆けることも出来ないような連中だ。零番隊とも呼ばれ、シキ直属のアキラが統括する部隊。見た目に騙されちゃいけない。親衛隊に入るからには相当な腕の使い手だろうし、周りを蹴落としていくだけの頭脳がなければならないはずだ。迷子になっていたら思わず道を尋ねたいような外見の人だが腹に一物があるやつかもしれない。俺はベットの上をずり上がった。親衛隊のもつ実力なんてのは今ではかなり昔のことに思えるが能力試験の一戦でよく分かっている。

「ああ、そんなに怯えられてもこちらが困りますよ。言ったでしょう?私は貴方のお世話を仰せつかりました。貴方に害を与える者ではありません」

微笑を顔に刷いてアオイは言った。俺は警戒心を解かない。笑顔で笑って人を殺せるやつもいれば、無表情で人を殺すやつもいる。顔の面一枚なんて信用できるものじゃない。

「―…僕は、殺されるのですか?」
「いいえ。何度も言っているでしょう?私は貴方の世話をします……生きている、貴方のね」

一人称にあえて「僕」なんて使っていい子ぶって相手の出方を伺ってみるが一部の隙も見せない笑みでアオイは言葉を返す。
ああ、好青年の面で笑っているけど、コイツもやっぱり人形のように感情の仮面を被っている。また違う、気持ち悪さが背筋を張った。親衛隊の連中は人形だ。シキにしか(或いはアキラに)忠誠を誓う愚かな操り人形。エリートを気取っていても、根本的に支配されるものの立場に立っている。

「何か、質問はありますか?」
「……部屋に、帰ってもいいのですか?」
「部屋?…ああ、部隊のですか。貴方の荷物は明日になったら配下の者がこちらに荷物を持ってくる手はずになってます」
「こっちに持ってくる?どういうことですか?俺の住むところは部隊寮でしょう?」

意味が分からない。いや、分かっているんだけれど、否定したい。

「……いいえ。本日付けで貴方の部屋は此処です。総帥閣下も仰られたでしょう?」
「何故?」

自然、目線と口調がきつくなる。
何故?何故だ?何故、俺がここに住む?俺の何がシキを此処に留めようとした?意味が分からない。ちゃんと、シキルート?を辿らないように目線を逸らしてたよな?
アオイは目を細めながら首を振った。

「さぁ?私には分かりかねます」

淡々と柔らかい口調で返されて舌打ちをしてやりたい気持ちを抑える。

「それは、決定事項なんですか?」
「総帥閣下のお言葉です」

要するに、決定事項ってことだろう。選択権は俺にはない。日本国総帥のシキの言葉が覆るはずもない。シキが黒を白だといえば、それは白になる。逆もまたしかり。

何故かよく分からないが、俺はシキに囲われることになったと理解していいのか?先ほど、ベットの上に組み伏せられたときに犯されなかったが、この場に囲われるのならこの先どうなるか分からない


。いや…シキはアキラしか抱かないよな?男も女も、アキラ以外シキは抱かないんだよな?あれ?これって淫靡ENDのときのだっけ?咎狗の世界で過ごして四年も経つと記憶も朧になるな。…いや、大事なところは覚えてるけど。

「あ、あの!明日、自分で荷物を取りに行ってもいいですか?」
「……私も一緒について行くことになりますが、それでも宜しいですか?」

しばしの間をおき、アオイは答えた。あれですか、それは監視ということですか?俺が逃げ出さないように?…ちょっとだけ、出来たら逃げたいなぁと思っていただけに、その申し出に相手に不審がられないようにすんなりと頷くしかない。

「では、今日のところはこれで。食事を持ってまいります。その間に湯殿をお使い下さい。着替えは置いてありますので、今着ている服は脱いで籠に入れて置いてください。では、少々失礼いたします」

一礼するとアオイは部屋から出て行った。

「うぎぁーーーー!!マジ意味分かんねー!ありえねー!!死ぬーーー!!」

俺しか居なくなった部屋でベットの上で頭を抱えて転げまわった!ありえん!咎狗の世界に居ること事態ありえんのに、主人公クラスに出会った途端これってどうよ!?あれか!?俺はトシマに来るべきではなかったのか!?
名もなき一般市民としてサイゾーさんのところで人生を終えれば良かったのか!?サイゾーさんなんつー赤の他人に情けを懸けるような真似をしたのが悪かったのか!?人間、慣れないことはするもんじゃないな!裏目に出やがったよ!!

あれだ、なんつか、あれだな。これは、俺が知らない物語に介入し始めているということだろう?やべーよ。イグラ戦のときならまだ多少は物語の展開が読めるから動きもとりようもあるけれど、ここは全く未知だ。

「ちくしょう…」

広い広いベットの上で転げまわるのをやめ、ついでに、思考も止めて、俺は枕に顔を埋めた。真っ暗な視界の中で柔らかな冷たい布の感触が気持ちいい。清潔な香りがする。
















「風呂、行ってこよ…」

ふらふらと俺は浴槽へと向った。風呂は命の洗濯だ、と昔どこかの誰かが言っていた。